吸っている人間は犯罪者か

北方謙三(作家)

北方謙三

「煙」──消えて行くものの価値を大切にする

――先生は葉巻の愛好家として知られていますが、現在はどのような愛煙ライフを送っておられるのでしょうか。
北方 以前はキャメルフィルターという、けっこう強めの紙巻タバコも吸っていましたけど、二十年くらい前からは葉巻ばかり吸うようになりましたね。葉巻は一日に二本ですね。よく吸うのはベガスロバイナとかです。なかなか良いものでして、やっぱりキューバでも最良なのは、ベガスロバイナとラモンアロネスの二つじゃないかと思いますね。
 ダビドフも昔はよく吸っていました。キューバン・ダビドフと言われる、これはキューバのいちばんいい畑ですよ。まあ、とにかく葉巻は、時と場所に合わせて、いろんなものを吸う感じです。
 それ以外に、仕事中はミニシガーを吸い続けています。今はもっぱらジノというミニシガーなんですが、細くて軽いんで、持っていても負担にならないんですよね。ジノというのは、ダビドフの甥っ子の名前です。
 葉巻はもう相当な数を集めています。湿ったタオルに包んで置いておいて、自宅ではヒュミドールという葉巻を保管する専用の箱に入れているんですよ。ヒュミドールに入りきらないんで、残りはワインセラー。ワインセラーいっぱいに入れてね。年月を書いた紙を入れてラップして、ジップロックに入れて寝かせておく。密閉して空気に触れないようにしておくと、熟成して香りがよくなってくるんですよ。ワインセラーは湿度が七〇%ぐらいで、温度が十四度ぐらいじゃないですかね。ヒュミドールとほぼ同じ状態で、保温保湿性に優れています。その状態だと、シロカビがでないんですよ。シロカビが出たら、もうその瞬間に熟成が止まりますから、ワインセラーは非常にいいんです。
 熟成すると、何とも言えず煙がトロンとしてきてね。そういうことを知らないヤツは、僕に言わせれば、女を知らない男みたいなものですよ。
──葉巻をワインセラーで熟成ですか。
北方 吉田茂がGHQに逮捕されていくときに、「押入れの中に気をつけろ」と言ったんですよ。それを、日本語がわかる米兵が耳にして、「押入れの中に何かあるぞ」とばかりに戻って押入れを開けた。押入れの中には葉巻がいっぱい並んでいたそうです。
 つまり吉田茂は、同居している女性に「押入れの中の湿度に気をつけろよ」と言いたかったわけですよ。「それだけはちゃんと手入れしておけ」とね。(笑)
──面白い話ですね。
北方 男というのはね、女が価値を認めないようなものを大事にするものなんですよ。煙になって消えて行くようなものの価値なんて、女にはわかりませんよ。男なんて人生そのものが煙みたいなものだから、自分と重ね合わせて、そういう消えて行くものの価値を大切にする。ほとんどの女は絶対、煙になって消えようなんて思ってないですからね。
──先生は禁煙をされようと思われたりすることはありますか?
北方 もちろん禁煙するつもりなんて一切ありませんよ。十代でタバコを吸い始めて以来、今日まで、禁煙したことなんて一度もない。
 初めてタバコを吸ったときは、思い切り吸い込んでしまって、ものすごく気持ち悪くなったのを覚えていますけどね。頭がグラグラして、こんなものを大人は吸っているんだと思った。盗み酒を初めてしたのと大体同じ時期なんですけどね。酒も初めてだと、どれぐらい飲んでいいのかよくわからなくて、コップにウィスキーをどどどっと注いで一気に飲んじゃったりして、頭がグラグラくる。それと似たようなものでね。
 それ以来、禁煙したことはないんですが、人生で最大二十三日間吸えなかったということはあります。学生運動で留置場に入れられたときです。出てきたときに、まずはタバコ屋に行ってハイライトを買うんです。最初に火をつけるときはしゃがみ込んで、壁に寄りかかって吸うんですよ。ひっくり返ってもいいようにね。そしてマッチを擦る。
 しばらく吸わずにいて、いきなり吸ったときに、スーッと吸い込んだときのクラーッとくる感覚。忘れられないんですよね、脳に来る衝撃というのが。やっぱりグワーッと脳が回る感じがする。留置場を出た直後に町を歩いていると、なぜかゆっくりとしか歩けないんですよ。スタスタ歩いているつもりでも、ゆっくりで、周りの動きがやたら早く感じるわけ。車なんかもう、ビュンビュン走っているように見える。閉じ込められていたおかげで、感覚が娑婆のペースについていけないんでしょうね。それが、タバコを吸うと直るんですよ。感覚が元に戻る。あれがいいんだな。

悪しき嫌煙ブームの元凶は、健康病に罹ったアメリカだ

――ですが昨今はタバコによる健康被害が盛んに言われています。
北方 タバコが身体に悪いなんて、僕は信じてないですからね。むしろ良いんじゃないかとすら思っている。タバコが吸えないときのストレスのほうが良くないでしょう。病気というのは「気」ですから。だから構わずに吸い続けていますよ。おかげで、歯医者さんで歯をクリーニングしてもらったときに「すごいですね、まるで煙突ですね」なんて言われました(笑)。それくらい吸い続けている。でも歯医者さん、それ以上のことは何も言わないですよ。しっかり歯は揃っていますから。「全部、自分の歯ですね」って。健康なものですよ。
 僕だけでなく、小説家というのは吸う人のほうが圧倒的に多いですよね。ある年齢以上の人は皆さん吸いますよ。チェーンスモーカーなんていくらでもいます。女流作家だって例外じゃない。推理作家協会の理事会などに出席しても、ほぼ全員が吸っていて、吸わない人間が小さくなっている状態です。
 以前、まだ徳間康快さんがご存命中に、新しい文学賞について相談したいというので徳間書店を訪れたときのことです。徳間書店はすでに全館禁煙で灰皿がなかったんですが、構わずにタバコを出して手にしていると、康快さんが秘書室に「何やってんだ!」と怒鳴った。「先生方は皆お吸いになるんだ。灰皿持って来い!」ってね。言ったはいいけど灰皿がないから、あわててどこからか高そうな皿を持ってきて。(笑)
 でも、出版社もある程度は世間の風潮に迎合する部分は必ずあるから、最近は禁煙のところが多いですね。集英社だって新潮社だって吸っちゃいけないんです。でも、用事があって、向こうから頼まれて行ったときは、一応ちゃんと灰皿が用意してあるんですよ。で、「もう吸っていいのかい?」と聞いて堂々と吸う。「吸っちゃいけないって言ったら帰るぞ」という殺気をちらつかせてね。(笑)
 それでいてほとんどの小説家は、肺がんでは死んでいません。がんになるとしても肝臓とか膵臓ですよ。
──そのようですね。
北方 うちの親父だってそうです。ピース缶を吸うヘビースモーカーでしたけど、肺がんで死んだのではありません。
 それからチャーチルは、チャーチルサイズと呼ばれる長い葉巻を一日二本ずつ吸い続けて、確か九十歳ぐらいまで生きています。例を挙げれば切りがないですよ。
 僕は葉巻だけで紙巻は吸いませんが、医学的なデータから言えば、悪いのはタールであって、ニコチンそのものは脳に対してもいいらしいんです。タールというのは、紙にあるわけですよ。病院でレントゲン写真を撮ってもらっても、僕の肺はすこぶる綺麗で、「おかしいな」なんて言われるんですけどね(笑)。要するにタールがないんです。
 原稿を書くときは、紙巻を吸うヘビースモーカーの人と同じように、何本吸うかわからないくらいです。息抜きとかいう話ではなくて、ごく自然に、呼吸するがごとく吸っている。煙を吸うのは呼吸と同じ感覚なんですよ。それでも綺麗なものなんだ、僕の肺は。
 だから当然、やめようなんて思うわけはないですよ。呼吸をやめようと思う人はいないでしょう? それと同じなんですから、タバコを吸うこと自体は良いも悪いもないんです。良いか悪いかなんて、誰も決められない。決めるべきではないと僕は思う。個人の勝手ですよ、そんなものは。タバコが大嫌いでどうしても煙を我慢できないという人が一緒にいたら、そのときは僕も吸いません。その人の側ではね。その代わり、その人がタバコを吸ってもいい場所にいるときに「タバコを吸うな」なんて言い出したらケンカになりますよ。
──そうですよね。しかし、たまにそういう人もいませんか。
北方 実はあるホテルのシガーバーで、おばさんに「タバコやめてくれませんか」と言われて大喧嘩になったことがあるんですよ。「あんた、何を言ってるんだ。ここはシガーバーだぞ。ふざけるんじゃない」と怒鳴ったら、「身体のことを考えたことがあるんですか」だの「周りの人のことを考えたことあるんですか」だの、しつこく言ってくる。シガーバーですよ。「あなたはここまで歩いてきたのですか? 電車に乗ってきたでしょう。電車だったら電気を使う。電気はCO2をいっぱい出すでしょう。車で来たのなら、車は排気ガスを出す。人間はどこかでいろんなものを何かしら出しているんですよ」と言ってやりましたけど、そのおばさん、毎日のようにそのシガーバーにやってきては「タバコを吸うのは身体に悪いからやめなさい」と言い続けていたらしいですよ。
──ときどき見かけられるエキセントリックな禁煙主義者ですね。
北方 大した根拠があるわけでもないはずなのに、健康のことだけを言い立てて「タバコは悪い」と決め付け、他人に押し付ける。厚労大臣のナントカっていうおばさんなんかも、ひどいものですよ。小宮山さんといいましたっけ? 年金の問題だってまだ全然片付いていないだろうに、記者会見でいきなりタバコのことを言い出して。タバコを吸う人間だって、できることなら波風立てたくないと思って吸っているのに、僕はあれ、タバコ派の人間をいたずらに刺激したと思いますね。まったく何という物の言い方するのかと呆れますよ。
 なぜ世の中がそんなふうになってしまったのかと言えば、これはもう間違いなくアメリカが元凶です。最初にアメリカが罹った「健康病」。健康という病に罹って、健康に悪いものはすべて悪、タバコなんて問答無用で悪、ということにしてしまった。あの国には縛り首の文化というものがありますからね。悪いものは全部リンチにかける、というのを始めたわけですよ。禁酒法なんてものをやったのもアメリカだけでしょう。テネシー州にはいまだに禁酒法が生きていますからね。自分の家で飲むのはいいけれど、外では一切飲んではいけないんです。
 リンチバーグという町にジャックダニエルの工場があるんですけど、そこへ行ったら大きなグラスに琥珀色の飲み物が出してあって、さすがに気前がいいな、と思って飲んだらアイスティだった。(笑)
 もともとアメリカ人というのは、意外に葉巻好きの国民だったんですけどね。息子が生まれたら葉巻を配る習慣があったり、サーキット場なんかでも、観客席で売り子が駅弁みたいな箱を持って葉巻を売りに来る。そういう文化があるんですね。食文化の中にも取り込まれていて、食後に「デザートはいかがですか」と言って出されたものの中に葉巻が入っていたりする。フランス料理なんかもそうでしょう。
──マキシムなどはいまもそのようですね。
北方 葉巻やタバコの文化というのは、元を辿ればインディアンからじゃないですか。それ以来ずっと、そういう文化が残されてきたわけで、なのに健康のことだけを取り上げてつべこべ言い出すというのは、これはもう病気ですよ。あいつらはね、自由の国だと言いながら、いろんなことを自分たちで不自由にしている。不自由な国なんですよ。

人権侵害に等しい喫煙者への過剰な敵視

――日本の愛煙家も最近は不自由な思いばかりしています。
北方 まったくです。この国でも今、本当に吸う場所が少なくなってきている。駅でもどこでも、喫煙室というのが設けられているじゃないですか。そこに皆がワーッと集まって、ひとかたまりになって吸っている。あの光景って、何だか隔離されているようなイメージですよね。タバコを吸う罪人がガス室に隔離されている感じ。あれなんて本当に、人権侵害に近いと僕は思うね。そんなふうに思いながら、僕もそこで吸ってしまうんですけどね。(笑)
 確か千代田区だったと思うけど、路上で咥えていたことがあったんですよ。葉巻はね、火をつけても吸わないと消えるでしょう。でも、ケースを持ってなかったから消えた葉巻の置くところがない。仕方がないから咥えて歩いていたわけ。すると監視員が「何やってるんですか」と来た。そこで、自分の手のひらに葉巻を押し付けて、「火がついてないものも咥えちゃいけないのか」と聞いたら「いや、煙が出てなければ…」と言うので、「じゃ、確かめてから言えよな。この葉巻、高いんだよ。先のほうがダメになってしまっただろ」と言い返した。そんなことで、ついつい「コノヤローッ」となっちゃうんです。
 それから、以前は飛行機でも吸えましたよね。それがだんだん吸えなくなって。それでも少し前までは吸える場所があったんですよ。キャビンアテンダントの仮眠室みたいなところとかね。特殊なケースでしょうけど、機長が知り合いだったりすると「操縦席で吸え」なんてこともあった。それが今は、客がトイレで吸おうものなら、そのまま飛行機を引き返して「こいつのおかげで飛ばなかった」とか何とかいう話になっちゃう。
 ホテルでも、煙探知機が煙を感知してビーッと鳴るようなところがある。定宿のホテルがそんなことになったら、僕はすぐに引き払うね。
 そうでなくても、葉巻だと匂いが強いためにエレベーターホールまで匂うらしく、いったい元凶はどこのどいつだ、と探したあげくに、僕の部屋に辿り着いちゃうらしい。それくらい匂いが強いらしいんです。
 確かに匂いは強いけど、悪い匂いじゃないですよ。そう感じている人は多いです。僕なんか、銀座のクラブで女の子と吸いながら「お前はな、これから家へ帰るだろう。家へ帰ったときに、そのセットした頭をほどいて、ふわっと振って、シャワーを使おうとするだろう。そのときに髪の毛から、この葉巻の香りがプーンと漂ってきて、胸がキュンとするんだぞ」なんてことを言ったりする。(笑)
──確かに悪い匂いじゃないですよね。
北方 外だけではなく、自宅でも同じです。「いいよ、俺は自分の部屋で吸うからいいよ」みたいなことを言う輩もいるけど、うちは僕以外、女ばかりでね。母がいて、家内がいて、娘が二人いて、女性の秘書が二人いて、おまけに犬までメス(笑)。その犬がね、私の部屋に来てしばらく寝たりするわけですよ。そして戻ったら、「犬が臭くなってる」と言われるんです。少し前まではどこでも平然と吸っていたんですが、孫が生まれてから、娘に睨まれたりして、やはり孫にまずいなと思ったら自分の部屋に行って吸うようになりましたよ。それでも「葉巻の匂いがする」と文句を言われる。
 放射能の話と同じでね、お腹の子どもに影響するとか、「お孫さんのことを考えたことはありますか」みたいなことを言われると、確かに何も言い返せないわけです。でも放射能にしたって、僕らはこれまでも散々浴びてきているわけだし、ある程度の線量だったら問題ないとわかっているわけじゃないですか。そこで子孫についての話を持ち出すのは、何か違うんじゃないかという気がしますね。タバコについても、そういう論理を持ち出すのはダメだろうと思いますよ。
──とくに女性の論理は、これがすべてのようなところがあります。
北方 匂いなんて、あくまで主観の問題で、好きか嫌いか、というだけの話でしょう。たとえばエレベーターに残っている香水の匂い、トイレに入ったときに残っている香水の匂いね。トイレから出てきた人が凄い美人だったりしたら、「なんていい匂いなんだ」と思うわけですよ。逆に婆さんだったら「香水くさいなぁ」とか思っちゃう。それくらい匂いなんて主観的なものなんですよ。そういう主観はもう、人それぞれなんでね。さっきも言ったように、そういう人の側では吸わなければいいだけの話です。しかし、その「好きか嫌いか」という主観を理由に法律や条例といった客観を押し付けることほど無謀なことはない。
 最近はバーのくせに吸えないところまでありますからね。そもそもバーなんていう場所は、ゆっくりタバコを吸いながら、強い酒をキュッと飲む、ということを楽しむためにある場所だと思うんですがね。条例なんかを作って、そういう男の嗜みまで認めないという事態は、どう考えたって無謀でしょう。そんなことでつべこべ言うなって感じがありますよね。

車の排気ガスとどっちが悪い!

──それでもなお、タバコを嫌う人間が増え続けているように思うのですが。
北方 ですからね、本当は身体に良いか悪いか、という話じゃないんですよ。医学的な根拠については、たとえば医者が繰り返し発表するなり、きちんと言ってくれないと、やはりタバコが嫌いだという人は、「タバコは体に悪いという結論が明確に出ています」と言うわけです。ならば、たとえばステーキの、ドロドロした脂とかね、あれとどっちが身体に悪いんですか、ということですよ。車の排気ガスとどっちが悪いんですか、と。私は船に乗りますんでね、五百馬力のディーゼルエンジン二基ですから凄い排気ガスが出てきて臭いんですよ。どう考えたってそっちのほうが身体に悪い。全開にしていたら、あっという間に二千リッターは使いますからね。それだけの軽油を燃やして排気ガスを出して、CO2の排出量だって相当なものでしょう。ですが、そちらについては文句を言われたことなんて一度もない。
──おっしゃる通りです。
北方 要するに、「健康に悪い」から反対している連中のほとんどは、「タバコが嫌い」だから反対しているんですよ。どんなに普遍性のある形で医学的な数値を並べたところで、やっぱり、そういう人たちは「悪いものは悪い」ということになるんだと思う。そんな話をしても、おばちゃんたちには通じない。少なくとも小宮山さんとかいうおばさんには通じないでしょうね。
 自動車で毎年、何千人と死んでいる。それから、自殺する人間が三万人もいる。その自殺する理由が何かを考え、対策を考えるとか、厚労大臣の仕事ってそういうことじゃないですか。嫌いだからというだけの理由で増税まで言い出すんですからね。タバコ嫌いはいいけど、そんな好き嫌いに過ぎないことを公の立場で言っていいんですかね。
 僕は神奈川県に住んでいるんですが、松沢前知事もタバコ反対運動やっていたわけでしょう。知事の仕事なんて他にたくさんあると思うのに、どこに行ってもタバコを吸うのをやめてくれ、という運動を知事自身が率先してやっていた。世間でタバコが嫌いな人が「タバコを吸うのをやめましょう」って運動をしたいなら、すればいいですよ。嫌いな人が反対するのは別に構わない。だけど、吸っている人間を見つけて、犯罪人みたいに扱われるのは我慢できませんよ。受動喫煙防止条例なんてものに根拠なんてないでしょう。その人たちが嫌いだっていうだけの話で。
 タバコが嫌いな人間の主観だけで作られた条例なんぞ、さっきも言ったように無謀以外の何物でもないです。正直、知事をやめてくれてホッとしましたよ。もっとも、現知事もその流れを踏襲しそうな気配なんで、どうかとは思うんですが。

タバコに反対するなら節度を持って反対せよ

──そうした嫌煙者たちに望むこと、といったら何かおかしな言い方ですが、何かありますか。
北方 知事の話はともかく、だから反対する人たちにも、人間として節度を持った態度でやってくれれば、何やったって全然構わないということを言いたいわけですよ。お互いにそれさえ守ってくれれば、僕は何をやってもいいと思う。
 あるとき銀座のクラブに行ったら、女の子がニンニクの匂いをプンプンさせていることがあったんですよ。どうしたのかと聞いたら、ニンニク料理を食べさせる店があって、そこでニンニクを焼いて、ニンニク大好きだから思わず食べちゃったって。食べたのは前日なのに、まだ臭いんですよね。「どうしよう」なんて言っているうちにママが来て、「あんた、ニンニクなんか食べちゃダメよ」と言うわけだ。客商売、相手がいる商売だから、嫌いな人がいるかもわからないから、それくらいの気遣いはしろと。好きならしょうがないけど、休みの前日に食べるとか、何とかすりゃいいんだと。
 それが節度ってものでしょう。好きなら好きで、客商売として最低限の節度を持ってさえいれば、いくら食べても、文句なんか言われる筋合いはないわけです。
 少なくともタバコを吸う人間はそうした節度を持っていますよ。
──確かに昔と較べますと、最近の喫煙マナーは数段よくなっていますね。
北方 三十年ぐらい前のことですが、作品中で主人公がポイ捨てするシーンを書いて、評論家に「タバコのマナーが悪い」と書かれたことがあるんです。まだタバコをところ構わずスパスパやっても、あまりうるさく言われなかった時代です。
 それ以来、ポイ捨てタバコは書くのもやめたし、僕自身も携帯の灰皿を使うようになりました。携帯の灰皿を使い始めた走りだと思いますけどね。それに海でも、クルーは普通のタバコを吸っているので、紙は捨ててもいいけどフィルターはゴミ箱に入れるよう、徹底しています。
 そういうマナーだけじゃなくて、本当はもっと言いたいことがあっても、あまり声を大にして言わずにいるんですよ。「タバコを禁止して日本中、大麻が蔓延したらどうするんですか」とかね。タバコが嫌いな人がたくさんいるのを十分わかった上で、そうやって節度ある態度を守ってきたつもりです。
 それに僕だけじゃなくてね、タバコを吸う人間というのは、今までずっと、節度の中で生きてきたんです。禁煙の運動が起き始めてから節度の中で生きてきて、きちんと節度を守りながらやってきた。決して大きな顔をしていたわけじゃないですよ。そうじゃない人間はもう、本当に少ないと思います。〇・何パーセント程度じゃないですか。絶対に吸ってはいけないところで強引に吸うとか、マナーのかけらもない人間というのは、その程度の、ほんのわずかな例外だけです。嫌煙の風潮に迎合しているわけではない。迎合ではなくて、節度を持っているんですよ。
 その一方で、禁止する側が節度を失って、ぐんぐんぐんぐん押してきて、ほとんど絨毯爆撃みたいにして、どこも吸えない状態にしてね。シガーバーにやってきて「タバコをやめろ」なんて言うおばさんみたいな人間まで現れる。タバコを「ダメだ」と一方的に言う人間は、まるで節度を心得ていないと僕は思っています。
 正直に言って、本当にこれ以上は進んでほしくないと切実に思いますよ。これだけ節度を持って煙を出しているわけだから、もうそろそろ、これ以上のことは言って欲しくない。煙を吐く人間が、ある時期からきちんと節度を持った。その節度に対する回答は何かと言ったら、やはり節度でしょう。お互いに節度を持てば、そんなにガタガタすることはないはずです。後はほっとけ、という感じですよね。何度でも繰り返しますが、節度には節度を持って応える、という人間らしい当たり前の振る舞いをしてもらいたいだけです。
 なんてことを言っていると、また小宮山とかいう人の話を思い出して腹が立ってくるんですがね(笑)。節度がなさ過ぎる。人間の、礼節というものをわきまえていない。われわれは、礼節をわきまえて、きちんとルールを守っているのに、それに対して「悪い」とさらに攻撃してくる行為は、抑圧以外の何ものでもないでしょう。
 葉巻あるいはタバコにまつわることで、いろいろありましてね、なぜ罪人扱いされるのかということを、これまでにも何回となく考えさせられてきましたけれどね。やっぱりこれは抑圧ですよ。
 とにかくタバコに反対する連中に言いたいのは、「節度には節度で応えろ」ということ。それが私の意見です。

きたかた けんぞう
一九四七年、佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。一九八一年『弔鐘はるかなり』でデビュー。その後、ヒット作を次々と生み出し・ハードボイルド小説の旗手・として一躍人気作家に。
八三年『眠りなき夜』で第四回吉川英治文学新人賞、八五年『渇きの街』で第三八回日本推理作家協会賞長篇賞、九一年『破軍の星』で第四回柴田錬三郎賞を受賞。二〇〇四年『楊家将』で第三八回吉川英治文学賞を、二〇〇六年『水滸伝』で第九回司馬遼太郎賞を受賞。二〇〇〇年より直木賞の選考委員を務める。近著に『揚令伝1』、『史記 武帝紀5』などがある。

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