小さな趣味・灰皿蒐集

諏訪 澄(ジャーナリスト)

諏訪 澄
1931年生まれ。東京都立大学修士課程修了。名古屋放送入社。主に報道畑を歩み、役員を務める。著書に『広島原爆8時15分投下の意味』(原書房)、共訳書に『千畝ー1万人の命を救った外交官 杉浦千畝の謎』(清水書院)がある。

今は昔─1980年代、私は旅先のホテルやレストランで業務用─つまり消耗品の灰皿を失敬してくる、ささやかな趣味を持っていた。その成果を披露してみる。

第1話。83年の秋、新たに就役したアメリカ海軍の原子力空母、カール・ヴィンソンが東シナ海で演習をするというので、カメラ・クルー共々、香港に飛んだ。私たちは、女王陛下ご定宿のペニンシュラ・ホテルに入った。滅相もない部屋に泊まるのではなく、雰囲気のいいロビィで一休みするだけのためである。

前庭に翻る英国旗ユニオン・ジャック、2階まで吹き抜けの広々としたロビィ─そこではジョンブルたちが昼間からシェリーを啜り、黄色人種どもを見回している。「小公子」に登場する執事を連想させる年老いたウェイターが、世界中からの雑多な顧客を捌きわけている─イギリス帝国主義の東洋制覇の歴史を「体感」させる空間だった。

上等のワインと葉巻の香りがしみ込んだ、ゆったりした革のソファでコーヒーを味わっていると、テーブルに置かれた灰皿が気になってきた。単純なデザインだが、ガラスの厚みが、なんともいい。安宿に引き揚げるべく席を発とうとした時、その灰皿が「僕も連れてって」と丸い顔で訴えかけているような気がした。老ウェイターを呼んで勘定、こころもちチップをはずんだ。そして、さりげなく灰皿をポケットに入れようとした。と、ウェイターが、それを制止し、ナプキンで灰皿を包みウィンクして渡してくれた。

灰皿は使う度に洗うので、底に記されたThe Peninsula/HongKongの字も、いまでは薄れかかっているが、成熟したウェイターのイメージは鮮明なまま残っている。

その2。85年頃、「ロス疑惑」なる熱狂現象が、一世を風靡した。『週刊文春』が「疑惑の銃弾」というタイトルで数週にわたって連続特集し、掛け値なしの形容でいうが─すべての新聞・週刊誌・テレビが追いかけた(『疑惑の銃弾』週刊文春・特別取材班/Nesco Books)。

白昼、ロサンゼルスの下町で強盗に襲われ妻が瀕死の重傷、負傷した夫が彼女を介護して帰国、看護し続けた─という「美談」が、夫による高額保険金目当ての殺人事件に一転。登場人物は舶来雑貨を商う演技過剰の夫、美人の妻は元スチュアーデス。車もアクセサリーも「高級ブランドもの」─舞台・小道具ともども出揃い、報道は燃え「過熱」していった。

軽薄は美徳ではない。しかし軽薄を玩賞するのが悪徳とはいえまい、と勝手な理屈をこね、私は渋谷・猿楽町坂上にあった問題の店「フルハムロード」を見にいった。

主人公は、すでに「塀の中」に放り込まれていたが、店は「報道関係お断り」の立看板を出して、舶来小物の販売と軽食サービスをやっていた。後に正妻になった愛人もいなかったが、女性店員が二人働いていた。商品を冷やかし、腰を下ろしてコーヒーを注文。それとなく女たちを観察した。とりわけ美人というほどではなかったが、なんとも色気のある雌たちだった。我は恋の女の、恋に満ちたる体なり、といった風情。どうして、ああいう胡散臭い男の周辺に、こんな婀娜な女どもが集まってくるのか。法を犯す男と、性的魅力のある女と─両者の間には「危険がいっぱい」といった、互いに吸引し合う共通項があるのか─私は考えさせられた。本当は考えてなどいなかった。ただ、世の中、間違っている、と義憤のようなものを覚えた。不愉快なので、そうそうに店を出たが、気がついたら、ポケットの中に店の灰皿が入っていた。陶製の黒い三角形のそれは、「黒い三角関係」でも象徴しているのだろうか。

昨年、この主人公がロサンゼルス警察の留置場で首吊り自殺した。この灰皿を引っ張り出し紫煙をくゆらせた。人騒がせな男と、あのマスメディアの熱狂は、つまるところ、なんだったのか。まだ、うまく纏められないが、日本社会の情緒不安定が、あの頃から始まったような気がする。

その3。ニューヨークには何度か行った。いつも、昼間は美術館めぐり。夜はブロードウェイ・ミュージカルを楽しませてもらっている。ただ劇場街のレストランで目ぼしい店には、まだぶつかっていなかった。

グリニッジ・ヴィレッジのO.HENRYが、芸術家・ジャーナリストの溜まり場で、味・雰囲気ともに、なかなかのものと聞かされ出掛けていった。タクシーを拾い、お上りさんでないことを示そうと「ヴィレッジへ」と行き先を告げた。すると「どちらの?」と問い返す。「ヴィレッジといえばグリニッジにきまっているだろう」というと、「ああヴィレッジか。ブリッジと聞こえたよ」との答え。反省─基本の発音さえできてもいないのに通ぶることなかれ。

さて、料理もよく、値段・雰囲気もよかった。帰る前に「食べ残しをペットにやる」といってドッギィ・バッグを頼んだ(内側の袋が油ものを遮る二重袋。よく出来ている)。それに灰皿を入れホテルに戻った。当世珍しいエボナイト製品。洗練されたニューヨーカーのそれとは逆のぶこつなデザイン。ジョン・デンヴァーのカントリーなどを聴きながら一服つける時には、これに限る。

それらの他、ヨーロッパや中近東で仕入れた思い出深いものもあるが、与えられた紙数を超えるので割愛する。ただ、最近というか、新世紀に入って以降、収穫は乏しい。先進諸国は、軒並み禁煙指向で、ホテル・レストランともにロビィやテーブルに灰皿を置いていない。どころか、自分の部屋で喫煙できるかどうか、肩身の狭い思いをして宿泊するありさま。私のコレクションが、豊かになろうはずもない。こういう風潮については、他の筆者が論陣を張ってくれるだろうから、私は遠慮する。

ただ、お世話になったJALに提案を一つ─喫煙席の復活。そしてスチュアーデス(フライト・アテンダント)が「お飲み物は何に?」と聞く時、「お煙草は何がよろしいですか」と尋ねさせる。つまり機内販売をもやらせる。個性的サービスをする航空会社として、必ず客が増えるだろう。その程度の独自路線も採れないようでJALの再生などありえない。

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