煙草を吸わない人生なんて、大人の人生じゃない

島地勝彦(エッセイスト、元『週刊プレイボーイ』編集長)

島地勝彦
1941年、東京生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』『PLAYBOY』『Bart』の編集長などを務める。柴田錬三郎、今東光、開高健、瀬戸内寂聴、塩野七生、荒木経惟氏ら錚々たる文化人との仕事を成功させる。2008年、集英社インターナショナル社長を退任。現在はエッセイストとして『東京スポーツ』『日経ビズカレッジ(オンライン)』などで連載中。著書に『えこひいきされる技術』『甘い生活』(以上、講談社)など。

わたしは自慢じゃないが、16歳の春休みから煙草を吸っている。もちろん、禁煙しようと思ったことは一度もない。こんなに美味いものを発見してくれたことを感謝しつつ、この原稿も煙をふかしながら、書いている。最近、ミラノのロレンツォの地下1階のパイプ売り場で買ってきたユニークなパイプをとくに気に入っている。これはアルバトロス〈アホウ鳥〉の羽がステムになっていて、そこを通った煙が口のなかに入ってくると、煙が鳥の羽のようになって、軽く感じるのである。

わたしの親父は教師をしていたが、煙草に関して寛大だった。あるとき、押し入れに隠れて一服やっていたら、親父に見つかってしまった。ぶん殴られるかなと覚悟していたら、こう諭された。

「おまえ、男だろう。隠れて吸うなんて卑怯なことはするな。堂々と吸え。うちのなかでは許す。ただし、外では絶対止めろ。とくに学校で吸ったら、退学だぞ」

そのときは、うちの親父はなんて話のわかる男なのだと尊敬の念を持ったものである。しかし後年、わたしが年を取って理解できたことだが、親父はきっとわたしが隠れて押し入れのなかで吸って、ボヤでも出したら一大事だと思い、心配のあまり寛容ぶったのだろう。たぶん、これが真実だ。

嘆かわしいことに、いまや世界中禁煙運動が盛んである。禁酒法で酒を飲めなくした歴史が浅く幼稚な国、アメリカから始まったのだが、あれよあれよとヨーロッパまで飛び火して、大人の国、イタリアやフランスまでも追従している。とくにバーで酒を飲みながらの一服を禁じられているのは、心が勃起して射精寸前までいっているのに、出すなといわれているみたいなものだ。

4、5年まえ、スコットランドに遊びに行ったら、そこも自由に煙草を吸えない国に落ちぶれていた。ホテルの部屋で吸うと、150ポンドの罰金が科せられる。しかも部屋には煙を感じるセンサーが付けてあるらしく、「よく、日本人が捕まる」とフロントの怖い顔をした女にわたしは脅かされた。マリファナでもあるまいし、とわたしは思いながら、大人しくホテルの裏玄関にある指定の場所で吸った。

そこには嫌みにわざと小さな灰皿が置いてあった。煙草吸いは、小さくなって火をつけていた。名門のカーヌスティのゴルフ場もターンベリーCCも、クラブハウスの玄関まえに砂を入れたバケツが灰皿替わりに置いてあった。コース内は全面禁煙だった。

わたしは67歳で編集者を引退するまで、家でも会社でも、朝から葉巻とパイプをぷかぷか吸っていた。いまは朝から、仕事場でだれに遠慮することなく、心ゆくまで煙草を愉しんでいる。軽い朝食のあとの一服にまず生きている幸せを感じる。わたしは27歳のときから、シガレットは吸っていない。それ以前はラークを日に40本吸っていた。わたしには、どうも煙草の葉を巻いている紙が合わないらしく、年に何度も扁桃腺を腫らして高熱を出していた。27歳のとき、柴田錬三郎先生に葉巻を1本ご馳走になってから、やみつきになってしまったのだ。パイプもシバレン先生からの一子相伝である。葉巻とパイプ煙草を吸うようになってから、扁桃腺を腫らすことが一度もなくなった。週刊誌の編集者をしていて、40度の高熱が出るのはきつい。

まだ神保町で会社勤めをしていたころ、若い女子社員が煙もうもうのわたしの席に来ると、苦虫をつぶしたような嫌な顔をするので、いつもやさしく説いたものだ。

「ヨーロッパの格言にあるんだ。『葉巻に燻された女は淑女になる』」

「淑女になんてなれなくて、結構です」

と、彼女はすました顔して答えた。

さては彼女は、わたしがその場で作った嘘の格言を見破ったかな。

わたしが尊敬するウィンストン・チャーチルは、20代前半にキューバにゲリラ戦を視察に行って、葉巻とシエスタ〈昼寝〉の味を覚えてしまった。90歳と2ヶ月の生涯で、毎週100本吸った。シエスタは戦時内閣の首相のときもやっていた。真のリーダーは強靱でなくては務まらない。一方、負けたアドルフ・ヒトラーは、若いときからガンノロで菜食主義で酒も煙草もやらなかった。歴史的にいえば、禁煙運動の始まりはナチから起こったのである。死してチャーチルは、キューバの葉巻にロメオ・ジュリエッタの“チャーチル”という名品を残した。シャンパンもポール・ロジェに“チャーチル”と冠した名酒がある。

人類ではじめに葉巻を吸っていたのは、インディオとインディアンだった。コロンブスがアメリカ大陸を発見して、ジャガイモやトマト、梅毒と一緒にヨーロッパにもたらしたのだ。

はじめ王候貴族が葉巻を愉しんでいたが、自分では吸わずに奴隷を10人ほど侍らせ、食事のあとに葉巻を吸わして、その香りを愉しんでいた。だが、あまりにも奴隷たちが恍惚の表情をしているのを見て、取り上げて自分で吸ってみるのには、時間がそうかからなかったらしい。

葉巻の美味さは格別である。わたしが毎日スポーツクラブに通って、体を鍛えているのは、美味しく葉巻やパイプを吸うためである。じっさい、かなりの肺活量が必要なのだ。健全なる精神は健全なる肉体に宿るというのは、真っ赤な嘘である、実人生では、不健全な精神を宿すために健全で強靱な肉体が必要なのだ。たしかに、蒲柳の質だったら、不健全の精神を宿すまえに壊れてしまう。そういう人は煙草の味を知らないで死んでいくんだろう。

シガー愛好家にとって、ハバナは一度は行かなければならない聖地である。今年の2月、ドン小西さんとわたしは「40%オフ! シガーダイレクト」社の招待を受けて、遅ればせながら、生まれて初めてキューバを訪れた。なんといってもホテルで売っている葉巻が興奮するほど安い。日本で1本4000〜5000円する上質なシガーが、1000円前後で買えるのだ。わたしは3泊4日のハバナ滞在中、朝起きてまずコイーバのマデュロ5のマジコスを1本吸い、昼間はロメオ・ジュリエッタのチャーチルとロバイナのトルピードを燻らせ、ディナーのあとにはパルタガスのフィギラドのサロモスとコイーバの新製品ベーイケを愉しんだ。

同行のドン小西さんは剛の者で、オーバーワークが祟り高熱を出していたが、ケツから座薬をぶちこみわたしに挑戦して吸いまくっていた。これくらいでないと、テレビの人気者にはなれないんだ、とわたしはつくづく感心した。酒はキューバン・ラムしかないが、ヴィンテージものは美味い。同じ太陽を浴び、同じテロワールで育ったラムとシガーは、会ったばかりの恋人同士のように相性がいい。ドン小西さんも高熱と喧嘩しながら、したたかに飲み吸っていた。

このハバナに22年間も住んで『老人と海』を書いた文豪ヘミングウェイが毎晩通ったレストラン“フロディータ”に行った。ヘミングウェイが考案したパパ・フローズン・ダイキリを飲んだ。砂糖ではなくキューバン・ラムをオレンジジュースで味付けしたものだ。飲みやすいが結構強い。これを文豪は毎晩12杯飲んだそうだ。残念なことだが、ヘミングウェイはハバナ・シガーを吸うことはなかった。もしこの国のシガーの味を知っていたら、もったいなくて自殺なんかしなかったのではないか。

「わがダイキリはフロディータ、わがモヒートはボデギータ」と文豪は書いている。モヒートを発祥の店、ボデギータで飲んだが、シングルモルトに淫しているわたしの舌には甘すぎた。もしヘミングウェイがシガーの味に目覚めていたら、「わがシガーはコイーバ」と付け加えていたにちがいない。

わたしが親しくした日本の三文豪、柴田錬三郎先生は、シガレットはラークを吸い、パイプも葉巻も愉しんでいた。今東光大僧正はもっぱらフィリップ・モーリスだった。開高健文豪はシガレットもときどきやっていたが、主にパイプだった。シガーはよくわからんと、もらったシガーはすべてわたしにまわってきた。その代わり、パイプ煙草はわたしが愛用していた同じものを愛吸していた。

「パイプの楽しさを知る人は、静謐の貴さを知る人だ」と文豪はエッセイに書いている。

「シマジ君、君が吸うとるその淫らな香りがする葉っぱはなんや」

と、ある日訊かれた。

「これは、アメリカのロサンゼルスの煙草屋のものとニューヨークのものとを半々でミックスしたものです。西と東のブレンドです。これぞヘレニズムの香りがします」とわたし。「どれどれ吸わしてみい」とダンヒルのウィークリー・パイプの一本に詰め込んで吸いだした。

「これはいけます。シマジ君、お金を出すから同じものを譲ってくれんか」

「お安いご用です。一生、貢がせてくれませんか」

「そんなこというて、また君はわたしに無理難題させるのとちゃうか」

「それは煙草を差し上げても、差し上げなくても同じです」

「じゃ、お言葉に甘えよか」

そんなわけで、開高文豪の“ヤクの運び屋”となった。だが文豪は、病魔に襲われ、58歳の若さで亡くなった。病名は食道ガンだったが、わたしは決して煙草ではなく、浴びるように飲んだウォッカのせいだと思っている。しかも飲み方が尋常ではなかった。文豪が作った名コピー、「何も足さない。何も引かない」を地でいったのである。

ちなみに、『長距離走者の孤独』の英国の作家アラン・シリトーは、パイプを深く吸って吐きながらいった

「インテリは禁煙するが、ジェントルマンは吸い続ける」

そう、わたしは生涯ジェントルマンでいたいのである。

(※愛煙家通信No.2より転載)

記事一覧

ページトップへもどる