喫煙所

金田一秀穂(杏林大学教授)

金田一秀穂
1953年、東京都生まれ。東京外国語大学大学院日本語学専攻修了。中国大連外国語学院、米イェール大学、コロンビア大学など日本語を教える。1988年より杏林大学外国語学部で教鞭をとる。著書に『「汚い」日本語講座』(新潮新社)『人間には使えない蟹語辞典』(ポプラ社)『気持ちにそぐう言葉たち』(清流出版)『十五歳の日本語上達法』(講談社)など多数。

タバコを吸う人間は、最近ますます生きづらくなってきた。

我が町杉並では、路上喫煙禁止区域が増え、違反者には「過料が徴収される」という。「過料」である。「罰金」なら、駐車違反などをして払ったことがある。しかし「過料」というのは幸か不幸かまだ払ったことがない。「徴収」と言ったって、一体どんなふうに金をふんだくるというのか。住民税に加算されるのであろうか。区の役人が、水道料金や牛乳代のように、家までとりに来るのだろうか。面白いから一度やってみようかしらん、などと不謹慎なことを考えたくなるような表示が、駅前道路のあちこちなどに描かれている。

乗り物でも、タバコが吸えなくなっている。東京のタクシーはほとんど吸えない。ごく一部に、喫煙可能の車もある。先日たまたまその一台に巡り会った。基本区間だったけど、奨励のために、慌てて吸った。聞けば、東京のタクシーが全面禁煙になったときから、売り上げが飛躍的に伸びているのだという。わざわざ電話で呼ばれるので、ほとんど予約でいっぱいであるという。不景気なときにも、このような知恵者はいる。慶賀にたえない。

飛行機が吸えない。狭いから仕方ないかもしれない。空を飛んでいるので、余計のこと、しょうがない気にさせられる。しかし、地上を走る列車内で吸えないのは、おかしいと思う。特にJR東日本は怪しからん。駅でさえ難しい。羽田空港にはたくさんの喫煙所があるし、行くところに行けば、ソファに坐ってコーヒー飲んだり新聞読んだりだってできる。それがどうだ。東日本はホームの一番端っこに、形ばかりのガラス張りの箱があって、そこで吸えという。屋外では、受動喫煙の害はほとんどないはずである。それを、わざとのように閉じ込める。空気が悪いことおびただしい。体に悪いと思う。国民の健康に留意してくれる優しい心遣いがあるのなら、喫煙者の健康にも配慮してほしい。

あまり知られていないことなのだが、かつて国鉄という組織があって、膨大な赤字を抱えて破綻した。民営化して分割して、それで赤字が消えたかと言うとさにあらず。赤字を清算する部門が残って、それの大部分が、タバコ税によって少しずつ返済されている。したがって、今のJRが今のようであり続けていられるのは、全国の愛煙家の善意に依っているのである。それを知らん顔して、売店でタバコを売っておきながら、あの東京駅でさえ、椅子もないような狭い片隅にしか喫煙所がない。恩を仇で返すとはこのことだ。そこへいくと、東海道新幹線は偉い。ちゃんと喫煙車両を走らせている。JR東海は義理堅い。

しかし、このような社会的風潮であると、いつまで東海道新幹線が喫煙可能であるのか、心配である。虚偽とまやかしの横行する現代社会にあって、この真実の良識のかすかな灯火は、決して絶やしてはいけないのだぞ。

(※愛煙家通信No.2より転載)

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