煙草は死んでも指先から離すな

西部 邁(評論家)

西部 邁
1939年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒業。東京大学教養学部教授を経て評論家に。 1983年、『経済論理学序説』(中央公論社)で吉野作造賞、1984年、『生まじめな戯れ-価値相対主義との戦い』(筑摩書房)でサントリー学芸賞、 2010年、『サンチョ・キホーテの旅』(新潮社)で芸術選奨文学部科学大臣賞をそれぞれ受賞。近著に『昔、言葉は思想であった』(時事通信社) 『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』(飛鳥新社)など。

禁煙運動を私が軽蔑しはじめたのは、30年前、2年間の外国滞在を終えて、久しぶりに日本の新聞を目にしたときからである。ある新聞の夕刊に、第一面トップで、「夫の喫煙は妻の妊娠に有害」という大見出しが躍っていた。それは実に酷い内容の記事であった。「夫婦ともに非喫煙」のサンプルが300組くらいで、そのうち出産異常が3%、「夫だけが喫煙」のサンプルが100組くらいで3.5%、というのである。こんな少ない標本数で科学的統計的な検証というのにも驚かされたが、それ以上に、たった0.5%の差をもたらした原因のすべてを夫の喫煙に求めるのは烏滸の沙汰である。もっと嗤えたのは、記事をよく読んでみると、「夫婦ともに喫煙」における出産異常が最も少なく、サンプルは50組くらいの少なさとはいえ、2.5%と最後に記されている。役所も新聞も気が狂ったのか、酷い国に戻ってきたもんだなあ、と滅入る気分であった。
続いて『Smoking and Society』(『喫煙と社会』)という論文集を読む機会があった。そのなかの一つに、喫煙者と非喫煙者を対面させて、前者の10人ばかりが煙草をスパスパやり、それに検査装置をつけられた後者の10人ばかりがいかなる生理的反応を起こすかを調べたものがあった。結果は、発汗や動悸などの面で異常反応を示したとのことである。しかし、数年後、それに奇異を覚えた科学者たちが「前回とほぼ等量の煙がすでに漂っている」室内に、「検査装置がすでに動いていることを知らされていない」非喫煙者を座らせて、あとでひそかにその装置の動き具合を調べるという実験をやった。結果は無反応ということであった。つまり、非喫煙者の喫煙者にたいする反撥の心理、その現れが前回の実験結果であったろうというのである。
他者への不満や怒りというのなら、喫煙大好きの私としては、山ほど言い分がある。今でいうと、人前で携帯電話をいじくる男、人前で化粧する女、年寄に席を譲ろうとしない若者、エロ本もどきを広げている年配者など、一歩家を出ると、不愉快な輩がうじゃうじゃとうごめいている。そして、そんな奴らが作り出そうとしている禁煙社会に馴染んではならないと、その本を読みながら私は心に決めたのである。
もちろん喫煙者のマナーが崩れていることも私の不愉快の一つではある。たとえば、「一服点けてよろしいですか」と同席の者に尋ねるマナーはもう昔日のものとなってしまった。しかし、禁煙を同席者に要求するほうがよほどにマナー外れである、と私はいいたい。
20年ほど前、私はある大学教授の自宅での忘年会に誘われた。ビールを飲みながら煙草をやろうとしたら、「うちは禁煙ですので、台所のファンの下でお願いします」とその教授夫人が宣う。私は「ああそうですか、ところで私のオーヴァーコートはどこでしたっけ」と返し、そのままその会からエスケープした。禁煙パーティーであることを予告しないのは失礼千万というのが私の言い分である。
こういう失礼な手合に抵抗するのは、その数があまりにも多いので、無駄である。可能なのは、エスケープすることだけだ。禁煙主義者が喫煙者をどんなに憎んでいるか、善良な喫煙者は知らないでいる。それら主義者の健康病なり清潔病なりがすでに治癒不可能な深みにはまっていることを見抜けないのである。そういう御人好しの喫煙者があまりに多い。たとえば、禁煙主義者に「煙草喫みはアルツハイマーに罹りにくいそうですよ」と教えてやる御人好しもいる。そんなのはまったくの無駄である。
禁煙主義者には早くボケてもらうのが一番だ、と思う闘争心なり判断力が、喫煙の夢心地のなかで煙のように消えてしまうのであろうか。
禁煙主義者との付き合いを断つ、なぜならそんな御仁が面白い人物であるはずがないから、とかまえてから久しい、それが私の場合である。禁煙を強いる会合にも出席しないことにしている。禁煙の札が立っている店にも、とくに酒や茶を出す場所である場合、入らないことにしている。散歩の効用もかねて、真っ当な店をゆっくりと探すのである。煙草増税にしても、まさか一箱5000円になるわけでもなかろうから、また煙草購入のために必死で働くのも健康で愉快な生活といえなくもないので、どうぞ御随意に値上げしなさいな、とやり過ごすことにしている。もっというと、安い密輸の煙草を手に入れる才覚が当方にあればそれでよい、と算段している。さらに、たとえ喫煙が犯罪とみなされるようになっても、もう少し若ければの話だが、秘密喫煙クラブを経営して大儲けしたいとも空想している。
そんな次第で、タクシーで長距離を動くとき、私はまず「運転手さん、有り難う」と挨拶する。「何がですか」と相手は問うてくる。「これ禁煙車でしょう」と私が答えると、「そんなに煙草が嫌いですか」とさらに尋ねてくるので、「いや、大好きですよ」と返事する。運転手は「ええっ、それなのに、どうして有り難うなんです」と首をかしげる。「一時間も禁煙させられると、我が家に戻ってからの一服が旨くてねぇ。僕のために禁煙にしてくれているんだろう」というと、相手はうれしそうにいう。「実は自分も煙草喫みなんで、よくわかります。都心を出たら喫ってかまいません。この携帯用の灰皿を使って下さい」。そして、二人して暫し、煙草がどんなに素晴らしいものであるかについて、話に花を咲かせるのである。
長時間を要する国際線の飛行機の場合はどうなるか。我が愛するイタリア、つまり「つまらぬ規則は、一応は表示しておくものの、破られて当たり前」との大人の判断が通用していたイタリアの航空機までもが全面禁煙になって以後、私は外国に行かないことにした。いや、一度だけ十数時間かけてウィーンに着き、そこで一服やって、頭がクラクラッときた快感をもう一度味わいたい気もするが、私も齢だ。「苦痛多ければ、それから解放されたときの快楽もまた強し」と面白がる体力の余裕がもうない。44ヶ国を経巡った体験からして、外国なんか行ったって大して面白くもないとわかってもいる。我が家の窓から流れゆく白い雲をみながら紫煙を吐き、そして立ち昇り立ち消えてゆくその煙のゆらめきに我が人生の成り行きを仮託しているほうが、よほどに中期高齢者の心理ばかりか生理にも適っている。
アドルフ・ヒットラーが最初の禁煙運動家であったことを、喫煙者よ、我が同志よ、忘れてはならない。彼らは、ティラニー・オヴ・ザ・マジョリティ(多数者の専制)をもって、精神の繊細と高尚のゆえにニコチン含有の煙の妙なる味と匂いをこよなく愛する我ら少数者に、襲いかかってくる。そのヴァンダリズム(文化破壊の野蛮行為)は禁煙世論の確立という形ですでに奏功している。そのみずからの愚昧と鈍感の上にどっかと胡坐をかく彼らの下卑た振る舞いは、「莫迦は死んでも治らない」の見本なのであるから、そういう津波のごとき、コモンマン(通常人)ならざるマスマン(大衆人)の運動からは、黙ってエスケープするほかに手はないのである。
エスケープ先で最もみつけやすいのは自分の家庭である。私の妻は重度の癌患者ではあるが、抗癌剤を拒否するところにもみられるように、西洋医学への信奉というものがまったくない。煙草が肉体の健康に少々は悪いと考えているのであろうが、それ以上に大事なのは精神の健康であるとわきまえてくれてもいる。だから、自分は煙草を喫わないものの、亭主の喫煙に文句をつけるような莫迦女ではない。
年寄りはもう遅いであろうが、若い男たちには、莫迦女には近づくな、との警告を差し上げたい。男の喫煙に不平を述べる類の女は、男のやることには、どんなことであれ文句をつけるものだ。それが人類史の鉄則なのである。若い女たちにも忠告を申し上げたい。喫煙に目角を立てるような男は、女の一挙手一投足にジクジクと注文をつけてくる、女の腐ったような奴らだ、というのがこれまた人類史の相場である。
そして、自分の喫煙に自信を持てないでいる弱気な同志たちにも励ましを与えたい。喫煙は、つねに矛盾と危険に満ちた人生の綱渡りにおいて、不断に平衡を持すための、またとないバランシング・バーなのである。その平衡棒は死んでも指先から手放すな、この立派な教えが教科書に認められていないのは、まことに遺憾である。

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