大人の身だしなみについて

伊集院 静(作家)

伊集院 静
1950年生まれ。立教大学文学部卒業。1991年、『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞受賞。1992年、『受け月』で第107回直木賞受賞。1994年、『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞受賞。2001年、『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞受賞。

早いもので、この連載をはじめて四ヵ月が過ぎた。

まともな文章を何ひとつ書かずに、愚痴ばかりを書き殴っていたら、周囲から声が出た。

─ー愚痴ったり(それ日本語かね)、怒ったりしてばかりは身体に悪いよ。

身体にいいから何かするってのも、大人の男がすることには思えないがね。

たばこの税金が一本あたり何円だか上がるそうである。

総理がのたもうた。

「私はたばこを吸わない。環境、人間の体の面から見てどうか。増税という方向はありうべしかなと思う」

オイオイ、それじゃ何か、喫煙者が煙草をふかしてるのが地球に悪いのかね。

ー─いや知らなんだ。

焚火も禁止するかね。どんど焼きも、護摩を焚くのも禁止かね。宗教弾圧だろ。焼イモ屋も逮捕だな……。

それにしても煙草を吸ってる人が可哀相である。まるで罪人扱いじゃないか。

よく若い人が煙草を吸ってる年寄りにむかって嫌な顔をするのを見るが、失礼である。

君たちが、そうやって何もしないで生きてられるのは、その年寄りが頑張ってきたからである。それに、健康に悪い、と言ったって、年寄りは百も承知で吸ってるの。残りの人生をイライラして何年か生き延びるより、ああ美味いな、と一服してる方を選んでるの。

こうしてたばこ税を上げて行けば、そのうちたばこを吸ってる人が金満家の基準になったりするかね。

掏摸なんかも、煙草を買ってるところを見つけて、あとを追うようになるのかね。

たばこ税どんどん上げろ。

じゃんじゃん働いて、じゃんじゃん吸ってやるから。株の買い支えじゃないが、私が吸い支えてみせるから(何を言ってるんだろうね)。

「また今週も愚痴ですか」

「やあY君(この連載の担当者)、君も吸うのかね。偉いね」

「ちっとも偉かありませんよ。女房にもやめるように言われてるんです。それより、この連載が暴走しないように、本来の大人の男の流儀の話に戻しましょう」

「そんなのあったっけ?」

「それで今週から大人のお洒落というか、身だしなみについてお願いします」

「………」

「急に黙んないで下さいよ」

「わかった」

ー─大人の男の“お洒落”か……。

 私はこれまで大人の男の“服装”についてと、同じく大人の男の“食”についての文章をほとんど書かなかった。“食”に関しては、この連載で何度か書いたように、いかなる名文家が書いても、そこに卑しさがつきまとう。

“服装”または“お洒落”について書くと、そこにイタリア料理好きの男に似て、軽薄さが漂う。いや漂うんじゃなくて、聞いていて、君は四六時中(へんな言葉だが)自分のお洒落のことばかりを考えてるのか、他にやらねばならないことがあるだろう、と思ってしまう。

では“お洒落”以前に大切なことを少し書く。 “身嗜み”のことである。

酒場などで待合わせた友が、礼服にネクタイであらわれたりする時がある。

友はカウンターにドサリと座り、最初の一杯をやり、大きく吐息をつく。そうしてネクタイを外す。

友が招かれた立場か、招いた立場かはわからないが、大人の男には身なりをただしておもむかなくてはならない席、場所がある。

そこに出ることが恩義の、友情の、証しであったりする。

“身嗜み”でまず必要なのは、体調だ。体調を整えておかなくては、その席で相手に気がかりを与える顔色をしていては失礼だからだ。

顔色からしてそうなのだから、自分の五体を整えねばならない。

髪、髯、爪……匂いにいたるまで整えておく必要がある。これが基本だ。

基本がそうであるなら、服装、髪型、態度は何を基準にするか。

それは清い容姿である。潔いかたちを主旨としてすべてを整える。それで十分。

若い人には、若者なりの潔さがあり、三十歳、四十歳にはそれなりの清さ、潔さがあって当然だ。

ー─流行はどうするのか。

これは難しい。基本としては不必要だが、時代遅れのものを平然と身につけて立つのは、当人の神経を疑われる。かと言ってさっきのイタメシ野郎(差別用語か、イタリア料理好きの男)のように流行に敏感過ぎるのは軽薄に見える。

出かける前に鏡を見て(そういうのはナルシストみたいで……いいから見ろ)、大丈夫だと判断したら出かければいい。

ー─大丈夫じゃないかもと不安なら?

 出かけなきゃいい。家でやんなきゃなんないことが一杯あるでしょう。

服装に関しては失敗をおそれないことだ。少し難しいと思うデザインのものもトライしてみる方がいい。その人なりのきちんとした身なりを修得するには、初めの内は“十回”着たもの(買ったものでもいいが)の“七回”は失敗だと考えていい。そうして覚えるのが身なりというものだ。

これは“食”と同じで何度も失敗して得るものなのである。

しかし流行や髪型よりも上手にあるのは“姿勢”である。

“姿勢”とは、姿、かたちを含めた精神である。大人の男の精神とは何か?

それは“胆”である。“胆”については次週に書く。

「それにしても今夜も二日酔いででれでれですね、伊集院さん」それがどうした?

今週の流儀

 男の身なりの基本は“清さ”である

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