タバコの害について

山本夏彦(コラムニスト)

山本夏彦
1915年、東京都生まれ。55年、雑誌「木工界」(のち「室内」)を創刊。84年、菊池寛賞受賞。90年、『無想庵物語』で読売文学賞受賞。著書に『編集兼発行人』(中央公論新社)『最後の波の音』(文藝春秋)など。2002年逝去。

タバコの害についてこのごろ威丈高に言うものがふえたのは不愉快である。いまタバコの害を言うものは、以前言わなかったものである。いま言う害は全部以前からあったものである。それなら少しはそのころ言うがいい。

当時何にも言わないで、いま声高に言うのは便乗である。人は便乗して言うときは声を大にする。ことに正義は自分にあって相手にないと思うと威丈高になる。これはタバコの害の如きでさえ一人では言えないものが、いかに多いかを物語るものである。

私は戦争中の隣組を思いださないわけにはいかない。隣組の正義は耐えがたいものだった。電車で靖国神社の前を通ったら車内からお辞儀しよう、英霊に黙祷をささげようと言えば正義は隣組にあるから抵抗できない。けれどもこの連中はのちに首相が靖国神社に参拝するなんてもってのほかだと言った。風向き次第でこんどは何を言いだすか分らない。

タバコの害はよく承知している。それでもすいたければすうがいい、自分はすわないが─というのがこれまですわぬ人の態度だった。私は日に80本すったが15年前ふとしたきっかけがあってやめた。やめたというより縁が切れた。あれは縁が切れないかぎりやめられないからやめよと人にはすすめない。

こんなことを言うのは勢いの赴くところ、「禁煙法」が提案されやしまいかと思われるからである。アメリカではむかし「禁酒法」が提案されたことがある。諸悪のもとは酒にある。酒さえ禁じれば世の中はよくなると、今ではとても信じられないことがまじめなアメリカ人には信じられ、その案は通過して1920年から33年までの14年間実施されたのである。

そして酒の密輸密造によってアル・カポネ以下のギャングたちが生れ、生れたからは今もその子孫がいるのである。

ヨーロッパ人や日本人はアメリカ人を笑ったが、まじめ人間というものは恐ろしいもので何をしでかすか分らない。こんどはまじめな日本人が禁煙法を提案して通過させる番かもしれない。

(※愛煙家通信No.2より転載)

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