色里の夢は煙か

杉浦日向子(漫画家、江戸風俗研究家)

杉浦日向子
1958年、東京生まれ。1980年「通言室乃梅」で漫画家デビュー。一貫して江戸風俗を題材にした作品を描く。84年「合葬」で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。88年には「風流江戸雀」で文藝春秋漫画賞を受賞する。また江戸風俗研究家としてNHK総合テレビ「コメディお江戸でござる」の解説コーナーを務め、人気を博す。代表作に『ゑひもせす』『二つ枕』『百日紅』『百物語』『一日江戸人』などがある。2005年7月逝去。

キセルの雨

「何ときついものか、大門をぬっと面を出すと、中ノ町の両側から近付の女郎の吸付たばこが雨の降るようナ」

ご存じ「助六」の一場面、俗に言う「キセルの雨」のくだりです。

野暮を承知で実況をすれば、江戸ッ子の花川戸助六が黒紋付に紫鉢巻という粋な拵えで大門(吉原の入口)から一歩中へ入ると、両側に建並ぶ茶屋で客待ちをしている遊女が、目ざとく彼を見つけ「マア助六さん、一服おあんなんし」と吸付たばこを差し出すので、それをいちいち受取っているうちに、両手いっぱい紅羅宇キセルとなり、ヤレヤレといったところで前述の台詞をのたまうのです。

山東京伝の吉原絵本『新造図彙』に、五葉牡丹の紋(助六を示す)の付いた番傘へパラパラと細身のキセルが降る〈雨〉と題する一コマがあります。脇の書入れには「中の町(茶屋のある大通り)の両側より降る雨なり」とあり、このシーンがいかにウケたかが良くわかります。

艶なる遊女から「〜さん」と親しく名を呼ばれ、吸付たばこの一本も差し出されたならば、殿方は例外なく舞い上ってしまうことでしょう。それが、助六に及んでは、両手にあまるほどの「お振舞」を受けるのですから、まさにケタ違いのモテ振りという訳です。

さて、スーパーヒーローの助六は別として一般庶民はどうだったかというと、大半は「素見(又はヒヤカシ)」という手合でした。これは登楼せずに、格子先だけをのぞいて歩くのです。それでも時には、吸付たばこを格子から差し出す遊女もあり、このたばこが飲みたくって、毎夜、吉原に通ったもんだそうです。

 待つ身のつらさ

禿が先きへ煙草盆初会なり

色里で「初会」というのは、初めて来た客のことを言います。

初会の床入りの時には、まず、禿(遊女の雑用をする七歳〜十歳の少女)が煙草盆をささげ持って客の先導をし、二階の部屋へ案内をします。そうして、客と煙草盆を残して、皆々いずこともなく消えてしまいます。

高級な遊女ほど、客を長く待たせるのを、一種の見識としたようです。その間客は、

「……たばこをのんだり、はなをかんだり、寝たり起きてみたり、あくび五、六十も夜着のうちにつつんで……」(山東京伝『傾城買四十八手』)長い長い時を過ごします。ようよう、ばたりばたりと上草履(遊女が履くフェルトを重ねたような厚い上履)の音がして、

「扨は今来おるなと、いそいできせるをはたき、夜着ひきかぶり、寝たふりをしていれば」(同前)─と客はすかさず狸寝入りをするのです。

なぜなら、まんじりともせずに起きて待っていたのを知られては、いかにも女欲しそうで格好が悪かったのです。  遊女が部屋に入り、ふと枕元を見ると、今はたいたたばこのふきがらが火入れの中にまだ煙っている。「狸」のことはバレてはいても「モシモシ」と声をかけます。

おきなんしなどと狸へよりかかり

─とコウなれば待った甲斐もあろうというものの、中には、

寝たふりを上手にしたでかたで(てんで)来ず

─と、朝まで狸のままの客もあったようです。

 通人のパスポート

煙草入れとキセルを見れば、その人が、どのくらいの通人かがわかると言います。

それだから、色里に通う遊客も、ことのほか持ち物には気をつかったようです。

洒落本の名作『遊子方言』の中に、年上の遊び人がウブな息子に、先輩ぶってアドバイスをする場面があります。

「たばこ入は堀安(袋物屋の名)で見て置いた。とんだ(とてつもなく)イヤ良い更紗がある。きせるは、どうしても住吉屋(上野にあった有名なキセル屋)が良いによ。とんだ良い型がある」

そして、たばこは「国分」という、薩摩刻みの上等品と相場が決まっています。

宮内好太郎氏の聞き書き『吉原夜話』に、明治時代の吉原芸者の話として、次のようなものがあります。

「(客に煙草をすすめられると)まず初めに煙草入れを結構に拝見して(ホメて)、それから一服頂戴、後に自分の帯の間から煙草入れを出して、お客様のおきせるに煙草をつめお返しするのが普通です。これあればこそでしょう、殿方が煙草入れ道楽をなさるので、芸者衆の方でも煙草には相当心をくばって、上等な品を吟味して買ってお座敷に出たものです」

なぜこんなにも人々はこの小道具にこだわったのでしょう。それは、たばこが初対面の「きっかけ」となるからです。

「まァたばこでも」と差し出された道具を見て、客の趣味や格を知る。客の方でも、相手の受け答えで様子を見る。

つまり、色里では、煙草入れとキセルがパスポートの役割をした訳です。

手練手管

遊女の使うキセルは、細身の紅羅宇の、見るからに色気のある拵えです。

これで、格子先から、例の吸付たばこで誘惑し、通りすぎる客のたもとをからめ取ったりもする訳で、いわば遊女の「手」のひとつでありました。

少し離れた煙草盆を引き寄せる、酔って悪くじゃれる客を制する、禿を追い立てる、背中をかく、そればかりではありません。思わぬ〈用事〉にも使われました。

遊女と客が深く馴れ染めると、お互いの腕に「○○サマ命」「××大切」などという〈彫り物〉をすることがあります。また、性格の良くない客に限って、無理矢理彫らせたがります。

ところが、こッちは〈商売〉ですから、ソウソウ一人の男に義理張ってはいられない場合もでてきます。そうした時に、彫った文字の上から熱いキセルをあてて、焼き消してしまうのです。

ふてえあま腕に火葬が二ツ三ツ─という句は、このことを指しているのですが、「ふてえあま」となったのも、もともとは「ふてえ客」の為ゆえです。

その「ふてえ客」も、おごれるものは久しからずのたとえの通り、月夜ばかりではありません。さて、その落ち行く先は、

「……しくじってしまえば羅宇のすげかえ、良くってソバの切り売り(屋台ソバ)」(洒落本『公大無多言』)とあります。

吉原は遊女三千人、三千本の長キセルがある訳ですから、羅宇屋も必要です。

かつての馴染みの遊女の羅宇をすげかえる落ちぶれた若旦那もあったかもしれません。

(※愛煙家通信No.2より転載)

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