キセルの芸談

渡辺 保(演劇評論家、放送大学客員教授)

渡辺 保
1936年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業後、東宝に入社。企画室長を経て退社、多くの大学で教鞭をとる。近書に『能ナビ』(マガジンハウス)『私の「歌舞伎座」ものがたり』(朝日新社)『江戸演劇史<上・下>』(講談社)など。『四代目市川団十郎』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。2000年、紫綬褒章受章。

少年の頃、いたずら半分祖父のキセルを咥えてみた。ビックリしたのはその重さ。祖父が日常使っていたキセルは、一見華奢な、小さなキセルだったが、歯も唇も支えきれない。痛いほどの重さである。これでは「咥え煙草」なんかとても出来ない。

明治21年生れの祖父は、いつもこのキセルで煙草を吸っていた。よくこの重さに耐えられたものである。

キセルの扱い方も昔は身分によって違ったらしい。明治末から昭和初期に活躍した歌舞伎の名女形六代目尾上梅幸は、その名著『梅の下風』でそのことにふれている。

梅幸によれば、百姓は右の人差し指と親指を火皿に掛けて持つ。

職人や鳶職は、火皿の下をひょいと指でつまむ。

商人は筆を持つように人差し指と中指で、火皿と吸い口の間の羅宇のところを持つ。

大名は、中指と人差し指を揃えてキセルの中ほどを持ち、肱を張って吸う。

こういわれるとわかりにくいが、ボールペンでも持ってやってみるといい。たちまちその人物の生活が浮かんでくるから不思議である。

男性にくらべて女性は煙草をのむ機会が少ないが、それでもキセル一本でその女の身分があきらかになるのは、男性と同じである。

たとえば男をキセルで指すとき、前へ出すキセルが真直ぐになっていると女房、斜めに出すと色っぽい情婦になる。キセル一つで男女の関係を仕分けるのが歌舞伎の芸の面白いところなのである。

吸いつけ煙草にも細かい工夫がある。

吸いつけ煙草とは、遊里の女が一口吸って火を付けたキセルを客に吸わせることをいう。この時、吸い口を襦袢の袖で拭く。丁寧に拭けば大事な客、まだそれほど親しい関係ではない。しかしちょっと軽く拭けば深い仲である。

「助六」では女たちがこぞって助六に朱の羅宇のキセルで吸いつけ煙草を贈り、助六は「キセルの雨が降るようだ」という。モテル男の、イキな風景である。

「源氏店」のお富も煙草を吸うが、この煙草はもっと大事な道具になる。有名な「しがねえ恋の情けが仇」の見せ場へかかるところで、与三郎の役者は舞台下手向きなので、舞台全体が見えない。そこでお富役者がキセルの煙草を灰吹きに落してポンという音をたてる。「もういいよ」という合図である。それと同時に舞台の空気がいっぺんに締って、与三郎役者はおもむろに立ち上がって見せ場にかかることが出来る。お富役者の亭主役への贈り物である。キセルは男女の関係ばかりでなくコンビ役者の関係も暗示する。

キセル一本。そのカゲにはさまざまな芸談が隠されている。

(※愛煙家通信No.2より転載)

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