煙管の雨がやむとき
柳家喬太郎(落語家)
- 柳家喬太郎
- 1963年、東京都生まれ。書店勤務を経て、89年に柳家さん喬に入門、2000年真打に昇進。芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)をはじめ、受賞歴多数。落語ファンによる「おもしろい落語家」アンケート(09年)で1位に選ばれるなど、実力・人気ともに兼ねそなえる。
だからさ、食いさがるなよ。俺いっぺん、断ったじゃんよ。
そりゃ確かに俺は煙草喫みますよ。でもさ、愛煙家なんて恰好のいいもんじゃないんだ。単なる喫煙者なんだ。パイプくゆらす訳でもないし、上等なライターも持たないし、洋モクも吸わないし渋い銘柄を好む訳でもない。百円ライターでマイルドセブンワンですよ。『愛煙家通信』に寄稿するなんて、おこがましいでしょうよ。
だから俺断ったのに、編集さん、なんか食いさがるからさ、まぁそれはそれで有難いことだよな……と思い直して、今こうして原稿書いてるけどさ。やっぱさ、まずいんじゃないかなー……と思うわけですよ。
だって俺、煙草やめようと思ってんだもん。
酒も呑むんですけどね、酒抜くのは平気。月に12、3日は抜いてるし、家じゃ呑まない。
けど煙草はやめられない。やめようとは思ってるんだけど、やめられない。なぜやめられないかというと、喫煙者の常で単純にやめられない。家に何個かあるライターのガスを全部使い切ったらやめようとは思っているのだけど、いま現在、すぐにやめようという努力もしていない。
ただもう一つ、やめられない理由がある。
今やめると、屈した気がするからだ。
現在の嫌煙禁煙運動の過熱ぶりは、いかがなものか、ちょいとばかりヒステリックに過ぎないか。中世ヨーロッパの魔女狩りかと言ったら言い過ぎかもしれないが、煙草喫みからすれば、もはや殆ど迫害である。 確かに、今まで喫煙者が大手を振ってのさばってきて、煙を好まない方々が、ずっと我慢を強いられてきた……ということは、あると思う。喉が弱いとか、肺があまりよくないとか、そうでなくとも例えば何らかの疾患をお持ちの方にとっては尚更のこと。今まで我慢に我慢を重ねてきたが、今やっと嫌煙禁煙を正面から、声高に叫べる時代になって、その運動に拍車がかかるのも、当然と言えば当然だ。
煙の問題ばかりではない。マナーもそうだ。世間一般が煙草に対して寛容だった頃、我々喫煙者は当り前のように吸殻のポイ捨てをしていた。今更ながら、ありゃ良くない。携帯用の灰皿を考案した人は、エラいと思う。
ポイ捨て自体良くないが、捨てた煙草を足で踏んで消すこともせず、火が点いたまま放置していくヤツがいる。今でもいる。こないだも半蔵門で見かけた。火事でも起こしたらどうすんだ。
もっと腹が立つのが、火の点いた煙草を指に挟んで、普通に腕を振りながら歩いているヤツだ。子供の目に入って、失明でもしたらどうすんだ。テメエ責任とれんのか。
僕も昔、池袋の街で、そういう輩の煙草の火が、手の甲に触れたことがある。思わず「熱ちッ」と言ったら、そいつは「あ」と呟いて、謝りもしないで立ち去りやがった。ふざけんなってんだコノヤロー。
煙草とは関係ないけど、ついでだから言わせてもらう。長い傘を地面に水平に……つまり自分の体と垂直に握って、平気で前後に振りながら歩く人がちょくちょくいる。老若男女関係ないが、比率としてはオジサンに多い。あれ、やめてもらえませんか。危なくってしょうがない。いくらなんでも無神経なんじゃありませんか、ねぇダンナ。
いささか話が横道にそれたが、だから今の風潮で、喫煙者のマナーが向上するのなら、それはとても良いことである。
別にいい子ちゃんぶってるつもりはない。ただ、この御時世で煙草を喫んでる我々が、マナーを守らなかったら、尚一層住みにくくなるじゃありませんか。自分で自分の首を絞めるような真似はやめましょうよ。「煙草吸ってもよろしいですか?」くらいの一言、スッと言えるようになりましょうよ。チャリンコ乗りながらのくわえ煙草も、もうよそうぜ。
だから、分煙には大賛成だ。
不快に感じる人に煙を吸わせる事はない。
だが煙草を吸いたい我々にも、煙草を吸う権利を与えて欲しい。せめて喫煙コーナーを設けて欲しい。ちょこちょこあるにはあるけれど、無いところには徹底して無い。どこもかしこも全面禁煙てのは、いくらなんでも厳し過ぎるんじゃないですか。
ねぇ、タクシーの組合の偉い人、3割くらいでいいから、喫煙の車を復活させてもらえませんか。JR東日本さんよ、JR東海みたいに、喫煙ルームが付いた新幹線、走らせてもらえませんか。飛行機はいいよ、空の密室なんだから我慢する。けど陸路の長距離、東京─秋田の4時間が全面禁煙てのはさ、ちょっと厳しいんじゃねえのかな。厳しいといやぁ神奈川県だよ。きっとあそこはまだまだ厳しくする気だよ。書店あたりにも手を回して、『愛煙家通信』なんて本は売らせない! ぐらいの勢いなんじゃないスかね。
それに何が下らないったって、聞くところによるとアレですって?新規に撮られる映画では、喫煙のシーンがだんだん無くなってるんですって?
なんだそりゃ。そんなに健全にしてどうすんだ。いやむしろ、それは不健全なんじゃないのかな。
……でも、どんどん進んでいくのかな、こういう風潮。映画ばかりがターゲットじゃない。他の文化、芸能も、煙草は悪だの烙印が、次第次第に押されてゆくのだ。
歌舞伎でも、『助六由縁江戸桜』は上演禁止の演目になる、「煙管の雨が降るようだ」なんて台詞は、もっての他だ。
花魁の吸い付け煙草なんぞは、悪の象徴だから、廓が出てくる芝居は、全面禁止。『与話情浮名横櫛』も『髪結新三』も何もかも、煙管を使う演出は廃れてゆく。石川五右衛門も煙管を持つことは許されない。 歌舞伎ばかりではない。つかこうへいの名作『熱海殺人事件』も、主人公の“くわえ煙草伝兵衛”が引っ掛かって、二度と上演されなくなる。チェーホフの『煙草の害について』は、本当に題名通りの内容に書き換えられ、上演を推奨される。
歌もそうだ。『スモーキン・ブギ』『プカプカ』『うそ』『ベッドで煙草を吸わないで』『タバコショーカ』なんて曲は、放送禁止、演奏禁止だ。他にもだ。まだまだだ。
落語も『長短』『花見の仇討』『あくび指南』『莨の火』『三枚起請』その他、好ましくない噺は沢山ある。戦時中の禁演落語の復活だ。ネタはどんどん葬られてゆく。
そんな中、かつての文化を懐かしむ人々は、隠れキリシタンのように地下の一室に集い、あの頃を偲んで秘密の上映会を開くのだ。 映画は『シェーン』。ラストの台詞、
「シェーン! カムバークッ!」
を、
「紫煙! カムバークッ!」
に置き換え、むせび泣くのである。
そして、『愛煙家通信』は当然の如く発禁となり、発行者、編集者、執筆者は全員逮捕され、読者は罰金を科せられる。バックナンバーは、闇で高値で取り引きされるのだ。
……そんな風になりそうだからさ、今煙草やめると、何かに屈したようで、嫌なのよ。 でもやめるけどね、そのうち。正確には、やめたいと思ってるんですけどね。
つか禁煙ぐらい、圧力じゃなくて、自由にやらせてくれよ。
(※愛煙家通信No.2より転載)
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