煙草から始まる映画もあった
高橋 洋子(作家・女優)
- 高橋 洋子
- 1953年生まれ。1973年、NHK朝の連続テレビ小説『北の家族』のヒロインに抜擢される。1974年、熊井啓監督の『サンダ館八番娼館望郷』で女優としての地位を確立。1981年、小説『雨が好き』で第7回中央公論新人賞を受賞。
かつて煙草は格好の小道具だった。
スクリーンの中で、多くの役者たちが、何と小粋に、またはおしゃれに煙草をくゆらせてきたことか。
ハンフリー・ボガードの唇には、いつも煙草が斜めにくわえられていた。その半ば閉ざされた口から、鼻にかかったような嗄れた声が吐き出されるのである。
それに憧れて、くわえ煙草を真似するのが、『勝手にしやがれ』のジャンポール・ベルモンドだ。冒頭のシーン、マルセイユの港町でボガードの映画を観終えたベルモンド。さっそくボガードのポスターの前に立ち、同じようなポーズで煙草をくわえ、ソフトの傾きをちょっと直す。ここから映画はスタートする。
いわば煙草から始まる名画といっても、過言ではない。
もちろん女優たちも、華麗に煙草を吸ってくれた。『俺たちに明日はない』のボニーとクライド。ボニーはクライドと知り合わなければ、テキサス州の田舎町で、ありきたりなウェイトレスとして日々を過ごし、平凡な結婚をしていただろう。だがボニーは、クライドの盗みに輝きを見た。失業者があふれ、荒廃がアメリカ全土を覆っていた時代。盗み奪う行為が媚薬に映ったのだった。
二人で手を組み、銀行強盗をくり返すが、もはや追われる身。焦りと未来のない孤独の中でくゆらす煙草。ボニー役のフェイ・ダナウェイの煙草を持つ長い指と、何度煙を吐き出してもぬぐえない哀しみ。
あの横顔は忘れられない。
また、おしゃれでチャーミングな煙草もあった。『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーン。まっ黒いカクテルドレスに身を包み、手には長いキセルを持っている。そして可愛らしく、ちょっと口をすぼめてキセルを吸う。あのヘップバーンの大きな瞳に、美しく紫煙が舞っていたではないか。
思い起こせば、切りがない。数々のシーンを作り上げてきた煙草。セリフを吐かなくても、煙草の吸い方ひとつで、何かを語ってくれたものだった。
映画に限らず、実生活においても、煙草は心のありかを、表現してくれる。
何か言いよどんだ時、ふっと静かに吸う。もうご破算だとばかり、灰皿の中で乱暴に揉み消す。もう彼女は来ないかもしれないと、ホームで待つ男は、靴でつぶした吸殻を数える。その吸殻の数で、おおよそ待った時間が、わかるというもの。
だが、こうした風景も現在はなくなってしまった。ホームも喫煙禁止。都心部の路上も禁止。室内に至っては、もっとひどい。
飲食店は吸えなくなった。ホテルも全館禁煙にすると胸を張る。
煙草って、そんなに悪ですか?
そもそも煙草は嗜好品だ。嗜好とは、栄養にはならないが、好みで飲んだり食べたりするもののこと。酒、コーヒー、煙草が代表格である。だが、酒やコーヒーは、嫌われない。コーヒーショップは、増え続けているし、酒だって、ちびちび値上がる発泡酒は別として、全体に価格は安くなってきている。
それに比べて、煙草ばかりが高くなっている。一箱500円に値上げすれば、やめる人が増えるのではないか、とほくそ笑んでいる人たちがいる。
映画ではないが、勝手にしやがれ、放っといてくれ、である。
その忌み嫌われる原因は、受動喫煙だろう。吸っている人のそばにいたら、ワタシモ吸ッタト同然。健康ニ害ナノヨ、となる。根元は健康。
だがその健康に銘打ったものに、何があっただろうか。
紅茶キノコの濁った液体を飲みましょう、とか、自家製ヨーグルトの白ペンキのようなドロドロを、毎日食べましょう、とか折々流行ったが消えていった。中には、自分の出した尿を毎朝飲みましょう、なんていう不気味なものまであった。
テレビの中で、コップ一杯程の自分の尿を、うれしそうに飲み干す人たちを見て、あきれ返ったものである。
健康ブームというのは、あやうさとまやかしの間で成り立っているようだ。
すると煙草だって体にいいことになる。
一服すると、気持が和らぐ。あるいは、ちょっとした緊張をもたらし、仕事が捗る。精神の扉をコツコツと叩き、適度の刺激を与えてくれるものなのだ。
〝食後の一服は、本当に旨いんですよ〟
この自由は奪わないでほしい。それに分煙になってから、喫煙者たちのマナーのいいこと。駅や空港で指定された狭いブースに入り、「あっ、あなたもですか。ぼくもですよ。仕方ありませんね」というように煙草を吸い始める。言葉は交わさなくても、暗黙の了解がある。だが狭いブースから、人々の行きかう広いホームを眺めると、何だか迫害された流浪の民のような気もしてくる。
ある夜、新宿でタクシーに乗った。終電時間を過ぎていた。帰る方法は、タクシーしかない。ここからだと家まで軽く5、6000円は掛かるな、と思った。
シートに身を沈めると、目の前に大きく禁煙のマーク。移動する個室を買ったようなものなのに、ここでも煙草は吸えない。私はポツリとつぶやいた。
「ああ、みんな禁煙になっちゃって」
「すみません。わたしも心苦しいですよ」
「前には、煙草が吸いたくて、乗ってくるお客さんもいたでしょう?」
「いました。新幹線から降りて、ああ三時間も我慢したよ、とうれしそうに吸ってましたね。中にはちょっと走って、吸いたいから、なんてお客さんもいたなぁ」
「へぇ、吸える空間を買ったというわけね」
「そうそう。一人でのびのび吸えるからね」
「でもタクシーは、個室なのに、どうしてダメなの?」
「吸わないお客さんが、匂いがイヤだって、言うんでね。まっ、まだ厳しくないころは、吸いたいお客さんには、吸わせてましたよ。で、降ろした後に、窓全開にして、バーッと走っちゃうの」
「冬でも」
「そう。冬でも。気持ちいいですよ。眠気も飛んじゃうし」
「運転手さん、煙草は?」
「吸いますよ。休憩の一服は旨いねぇ。もう40年の友ですよ」
車は外苑西通りの木立ちの多い地区へ来ていた。木立の彼方に、巨大な六本木ヒルズのビル群が見える。
「ああ、知ってるわ。この辺りでよくタクシー停めて、休んでるわよね」
「そうそう。ここはタクシーの休憩所ね。車停めてもうるさくないから。みんなここで、一服やってるよ。昼はいい木陰だしさ」
「夜だったら、あのビルの明かりがきれいでしょうね」
「ああ、あんな贅沢なもの建てちゃってさ。タクシー代数百円節約して、あの上で高いもん食ってんだろ」
「小さなとこから、削っていくのね」
「でもさ、世の中、余分なものがないと、つまんないよね」
「タクシー代とか、煙草とか」
「それそれ。好きなもんは、吸わせろっていうんだ。お客さん、もう煙草吸ってもいいですよ。帰り窓全開で、バーッと走っちゃうから」
「あっはっはっ」
私は笑い出した。余分なものがあってこそ、いい社会。取るに足らないものを、珍重している人だっている。余分なものは、余裕ともいえる。私は窓にそびえるヒルズの明かりを、あらためて仰いだ。人々の視線は、あのまま上へ行くのか、下の巷に注がれるのか。
余裕のある社会とは、ささやかな愉しみを奪う社会ではないはずなのだが。
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