「禁煙絵本」の発売中止騒動はモンスターペアレンツ書籍版

白川道(作家)

白川道
1945年生まれ。一橋大学社会部卒業。『天国への階段』が第14回山本周五郎賞候補作となり、ハードボイルドの新旗手として注目される。著書に『流星たちの宴』『終着駅』(新潮社)、『最も遠い銀河』(幻冬舎)などがある。

文化をどう伝えるかが肝要なのに

わたしは愛煙家というより、ほとんどニコチン中毒で、毎日80本ぐらいたばこを吸っている。目覚めてからは、たばこを吸わずに呼吸している時間のほうが短いぐらいだ。今では他のなにを禁じられるよりも、たばこを禁じられるほうが辛い。禁煙する酒場にはお目にかかったことはないが、近ごろの食い物屋では禁煙となっている店も多く、店に入ってまず目を光らせるのは、店内の雰囲気やメニューなどではなく、喫煙が可か否かという点だ。禁煙だったら、たとえどんなに良い店だろうと即座に出てしまう。

だが喫煙家が肩身の狭くなっている今の風潮に文句を言うつもりはない。たばこ嫌いの人の主張することにも理解はしている。財政が困窮している今、たばこに増税することだって黙認もしている。しかし、そりゃないだろう、という1件を耳にした。2日前の本紙(『夕刊フジ』)にも掲載されていたが、例の「禁煙絵本」の発売中止騒動だ。じつは、だいぶ前、つまりこの騒動が勃発する以前に、この話は聞いていた。ご存知ない方に、ざっと解説すると、某出版社の絵本シリーズのなかのひとつの物語「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」と題したなかで、たばこ好きのおじいちゃんが孫に江戸時代の暮らしを説明する場面での描写がたばこを吸いすぎるということで、一部の嫌煙家から抗議を受け、出版を中止したというのである。嫌煙家いわく、子供に悪影響を与える、とのことだ。

ふざけるな、である。まるでモンスターペアレンツの書籍版である。抗議する嫌煙家の頭も疑うが、その抗議で出版を取り止める出版社もどうかとおもう。おじいちゃんの話す内容が子供に悪影響を与える、というのなら話はわかる。むかしは当たり前のようにいたたばこ好き。おじいちゃんは、たばこ好きで生きてきたのだ。そのおじいちゃんがたばこをくゆらせながら、江戸の昔話を語る姿のどこにどう問題があるというのか。話のなかに、たばこのパッケージにある「ほんとうは体に悪いのだが」とでもいうような台詞でも加えろというのだろうか。じつはこの手の抗議がまかり通る今の風潮がおかしい。書籍は文化であって、その文化をどう子供に伝えていくのかが肝要なのである。

わたしがこの話にいささか過剰気味に反応するには理由がある。わたしは子供相手の小説は書いていないが、わたしの書く小説の男主人公は皆愛煙家である。健康で、誰からも愛される正義漢でなんの屈託もない─。そんな男性主人公には興味がないから、たばこを吸わせる。たばこを吸わせながら悩ませ、女と寝かせる。たばこを吸わぬ心身共に健全な男が、ひとり部屋にこもり、あるいはひとり海辺に立って憂いに浸らせたところで絵にはならない。だからたばこを吸わせる。

したがって嫌煙家の人はわたしの小説など読まぬほうがいい。

もう時効だから話そう。こんなこともあった。日本を代表する某大スター。彼の主演した映画のノベライズの仕事を受けたことがあった。ノベライズというのは、映画を書籍化することがある。わたしは小説のなかで、主人公にたばこを吸わせた。しかし抗議を受けて、たばこの場面を削除した。実生活で某大スターはたばこを吸わないというのである。以来、二度とノベライズの仕事は受けないと固く心に決めた。主義に反する仕事は、禁煙宣言より辛いからだ。

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