変な国・日本の禁煙原理主義
養老孟司 (解剖学者) × 山崎正和(劇作家)
- 養老孟司
- 1937年生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学医学部教授。北里大学教授等を歴任。著書に『からだの見方』(筑摩書房、<サントリー学芸賞>)、『バカの壁』(新潮社)など多数。
山崎 養老さんと対談するのは久しぶりですね。
養老 たしかに山崎さんとはパーティや会合で顔を合わせていますが、テーマを決めてじっくり話をするのは数年ぶりでしょうか。山崎さんが昭和九年生まれ、私が十二年生まれ。お互い七十代になりましたが、隠退するどころか何かしら忙しくしていますね。
山崎 私のほうは、養老さんほどではありませんよ(笑)。ところで我々は戦前を知る世代ですが、最近この国はまたおかしなことになってきていると思いませんか。先日も『文藝春秋』七月号(二〇〇七年)で「わたしの『道徳教育』反対論」と題して、教育再生会議が提議していた「道徳の教科への格上げ」や「親学」を批判したところですが、国家が個人にお節介を焼こうとする傾向が年々強まっている。
真っ先に思い当たるのが、今日のテーマでもある「健康増進法」です。いま流行りのメタポリック・シンドロームも、日本中に急速に普及しつつある禁煙主義も、元をたどれば全部この法律に行き着きます。「健康増進に努めるのは国民の責務である」というほとんどファシズム国家のような法律に、なぜ日本人は違和感を持たないのか。今日は医学者で愛煙家でもある養老さんをお迎えして、この健康至上主義のおかしさを話し合いたいと思っているんですが。
養老 愛煙家なのは確かですが、医学者とはいっても解剖学ですから、医学界では最も役に立たないと言われていますけど(笑)。しかしね、私は現代医学ってそれほど役に立つのか、と逆に問いたい。たとえば、「たばこの害は医学的に証明された」と言いますね。この「医学的に証明された」がクセモノで、実際のところ、証明なんて言うのもおこがましい状態なんです。
そもそも私はいつも言うんですが、「肺がんの原因がたばこである」と医学的に証明できたらノーベル賞ものですよ。がんというのは細胞が突然変異を起こし、増殖が止まらなくなる病気でしょう。その暴走が起きるか起きないかは遺伝子が関わっている。つまり、根本的には遺伝的な病なのです。トランプのストレートフラッシュのように、五枚の手札が揃ったら、がんになるとしましょう。遺伝的に四枚揃って生まれてくる人もいれば、一組もカードが揃わず生まれてくる人もいるわけです。つまり、カードが揃っていない人は、たばこを吸っても肺がんにはならない。逆にカードが揃っている人は、禁煙していてもがんになってしまう。
医学論文なんて恣意的に数字を選んで結論を導きだすものですから、絶対的な信用はおけないと、医者たちはいやというほどわかっているんですよ。
山崎 とりわけ疫学には問題がありそうですね。
養老 たばこのパッケージに「健康のために吸いすぎに注意しましょう」と書かれていた警告表示がいま、やたらにデカデカと脅迫的な文言に変わっていますね。二年ほど前にWHOの「たばこ規制枠組み条約」が発効したのを機に、直接喫煙による警告として肺がん、心筋梗塞、脳卒中、肺気腫の四種、それ以外に妊婦の喫煙、受動喫煙、依存、未成年者の喫煙についての警告が表示されるようになった。ところが、その文言をみると「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります」とか「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」とか曖昧な文言になっている。じつはあれを決めた一人が東大の後輩なんですが、医者仲間で集まったときに「根拠は何だ」「因果関係は立証されているのか」と彼を問い詰めたらたじたじでしたよ(笑)。
医療は過大評価されすぎている
山崎 医学はどこまで実証的かという問題ですね。じつは私、この一年半、体中が痒くなるという厄介な病気に悩まされているんですが、現在の先端医学をもってしても、痒みのメカニズムはまったく判っていないそうですね。
養老 ええ。痒みはほとんど寿命に関わりませんから、ほとんど研究されていないんですよ。判らないというより、判ろうとしていない。
山崎 まさにそうで、なぜ勉強しないのかと医者に苦情を言ったら、痒みで死んだ人間はいない、と(笑)。痒みなんてごく初歩的なことなのにと驚きました。
養老 いや、むしろ今は医療が過大評価されすぎているんですよ。私は、趣味でしょっちゅう東南アジアの奥地に虫捕りに行きますけど、ああいう地域では医療の限界がよくわかります。
山崎 しかし、ああした地域は現代医学が十分普及していないから、抗生物質なんかをもっていくと、伝染病退治などにいっぺんに効くんじゃないですか。お医者さんにしたら最も達成感を得られる場所だろうと、私は思っていました。
養老 それは最初だけなんです。しばらくすると、次から次へ新しい患者が出てきて際限ないことがわかってくる。結局は「臭いにおいは根本から」で、衛生条件を変えるしかない。パキスタンやアフガニスタンで井戸掘りをしている医師の中村哲さんは、虫好きが高じてあちらに居ついたんですが、始めは診療所で診察だけおこなっていた。ところがそれでは埒が明かないので、干ばつ難民のために井戸を掘って、川を造り始めたら、いつの間にか井戸掘りがメインになっていたそうです。医者より土建屋の方が人々を救えると気がついたわけです。
山崎 しかし医学が最も華々しかったのは、抗生物質の普及期ですよね。やはり結核をやっつけたのは大きかったのではないでしょうか。
養老 ところが、それにも異論があります。というのも、抗生物質ができる前から結核患者が減り始めていたという統計があるんです。結核研究の権威で『健康という幻想』を書いたルネ・デュボスが「日本の結核患者の激減はストレプトマイシンでも予防接種でもない。栄養の改善だ」と語っています。
山崎 ははあ、結局は栄養状態ですか。
養老 やはり「大気、安静、栄養」がいちばん大事なのです。こんな話もあります。日本女性の寿命は大正九年を境に延び始めているのですが、長い間その理由は判っていませんでした。それが数年前、建設省元河川局長の竹村公太郎氏が研究して、その時期に水道の塩素消毒が始まっていることを突き止めた。水が清潔になって、乳幼児の死亡率がぐっと下がり、女性の健康に好影響を与えていたのです。
たばこ対策検討会の怪
山崎 じつは数年前に、乞われて旧厚生省による「二十一世紀のたばこ対策検討会」の審議委員になったことがありました。体裁上、たばこを吸う人間も入れないと公平性を疑われると思って、厚生省は私に声をかけたのでしょう。少数派になるだろうとは思いましたが、会議は一般公開されるというので、禁煙運動のおかしさを世間に広めるいい機会だと思って引き受けました。
出てみると、会議は予想以上に異様なものでした。委員の顔ぶれがほとんど反喫煙の医者で固められていたのは仕方がないとしても、会議冒頭に旧厚生省保健医療局長が、たばこの害悪は自明の事実であり、この検討会では二十一世紀に向けて禁煙を推進する具体策を諮問すると宣言した。私は審議会の参加経験は多少ありましたが、こんな風に議論の前提と結論がすでに予定されている会議は初めてでした。
しかも驚いたのは、反喫の根拠になっているという調査の原資料の開示を請求すると、反喫の医者でもある座長に「この資料は反喫煙論者にしか見せられません」と言われた(笑)。まさに正体見えたり、です。あれは元国立がんセンター疫学部長の平山雄氏の三十年にわたる研究に基づくものとされている。でも原資料は見せないんです。
養老 平山さんは世界で初めて「受動喫煙の害」を指摘した人ですが、彼の疫学調査にはその後、多くの疑問が寄せられています。なかでも彼が主張した、いわゆる副流煙の危険性は問題外です。喫煙者本人が吸い込む煙よりも、周囲の人が吸い込む煙の方が有害だという説ですが、低温で不完全燃焼するたばこから発生するので有害というのに科学的根拠はないのです。
山崎 疫学とは、原因と結果の関係の見えにくい事柄について相関性を述べる学問ですよね。
養老 そうです。毒を飲んだら死んだ、というように因果が明白なら、疫学の出番はありません。
山崎 では、ある原因とある結果を任意に選択するときに、基準はあるのでしょうか。
例えば、肺がん患者が増えた原因は素人の私でもいくつも思い当たる。その第一は長生きでしょう。長生きすればがん発症の確率が高くなる。もうひとつ疑わしいのは大気汚染です。しかしなぜ、たばこだけをがんの原因として取り上げて、大気汚染は問題にしないのかと私は言ったんです。
疫学が多くの伝染病の発見に貢献したことは認めますが、任意の原因と結果を選択するにあたって、科学的根拠を明示できないかぎり、素人考えと何ら変わりがないのではないでしょうか。それなら、人類にとって最も危険なのは畳とベッドの普及であるとも言えますよ(笑)。審議会の席でそう言ったら、皆さんいやな顔をなさっていましたけど。
養老 そうそう、私もそこが気になるんです。なぜたばこが「悪玉」に選ばれたのか。
なぜたばこばかり取り締まられるのか
山崎 そもそも私が健康至上主義の台頭に気がついたのは、十五年近く前になります。当時、アメリカで生まれた「健康信仰」が世界を席捲して、肥りすぎや酒、たばこに対する強烈な嫌悪感と、その裏返しである節食主義、菜食主義、ジョギングをはじめとする様々な運動への強迫観念が、多くの日本人の心を捉えようとしていました。それでその頃『諸君!』に「ソフト・ファシズムの時代」を書いて、警鐘を鳴らしたのです。しかし当時は、後に日本でここまで禁煙運動が成功するとは思ってもみませんでした。お互い愛煙家ですから、生きにくい世の中になりましたよね。
養老 まったくです。私が気になるのは、禁煙運動というものをいつ、誰が始めたのか、はっきりしていないということです。他の健康信仰と同じくアメリカ発祥なのでしょうが、詳細がはっきりしない。私は、禁煙運動の背後にあるのは「すり替えの論理」ではないかと思っています。
たとえば反捕鯨運動もそうですね。ベトナム戦争のとき、米軍が空から撒いた枯葉剤によって大変な環境被害がひきおこされた。たちまち環境保護団体から批判が集まり、困ったニクソン米大統領は、批判勢力を反捕鯨運動に誘導しようとしたのです。これと同じ胡散臭さが禁煙運動には感じられる。
山崎 同感です。たばこよりも人体に悪影響を及ぼすものは沢山ある。それなのに、たばこの取り締まりにばかりなぜこんなに力を入れるのか不可解です。
養老 たばこ問題は「誰が金を出しているか」と考えるとよくわかる。つまり、「たばこは健康に悪い」という研究結果はひっきりなしに発表されていますが、研究費を出してくれる人がいなければ、誰も研究などしないわけです。とくにアメリカの学会はそういうところですから。私は、社会の裏側でつくられた取り決めで、世の中が動いていくというのがいちばん気に入らないんですよ。
山崎 しかし不思議なのは、アメリカにはフィリップモリスという世界最大のたばこ会社もあるのに、なぜ禁煙運動の暴走をおしとどめることができなかったのかということです。日本のJTはもっと必死に抵抗しています。
じつは、これを日米の経営構造の違いから考えると、非常に面白い。つまり、日本の経営者は自分のつくった製品に多大な愛情を持っています。たとえば有名な例では、新日鉄初代社長の稲山嘉寛はつねづね「俺は生まれ変わっても鉄をつくる」と話していました。しかし一方、アメリカの経営者は、経営手腕を発揮して短期に利益を生み出し、株主に配当して名声をあげればいい。好条件でスカウトがあれば、すぐに次の企業に移ります。何を作ったって、それで金もうけできればいいんです。製品に対する愛情なんてあるわけがない。だから、たばこ訴訟が起こるとすぐ和解に応じてしまった。アメリカは弁護士費用の高い国ですから、さっさと和解金を払った方が安くつくわけです。
しかし、これがとんでもない愚行で、あたかもたばこ会社の経営者が「たばこは悪いもの」と認めたかのような前例ができてしまった。日本に禁煙運動が入ってきた時点では、すでにこれが世界的に認知された「事実」となっていて、反論の余地がありませんでした。
養老 アメリカ人の禁煙運動の論理、というか非論理性が非常によくわかるのが、ベストセラーとなったアル・ゴアの『不都合な真実』ですよ。前半は地球温暖化問題について書かれていますが、じつは後半で反たばこキャンペーンが展開されるんです。ゴア家はたばこ農園を経営していたのですが、喫煙者のお姉さんが肺がんで亡くなってしまう。お姉さんの死後、「肺がんの原因はたばこ」だと思ったゴア家はたばこ農業をやめ、そればかりか、たばこ産業自体を断固つぶすべしと立ち上がる。たばこは姉のかたきというわけですが、よく読むと、ここにも「すり替えの論理」が働いている。『不都合な真実』にはゴア家がピューリタン的なきわめて真面目な家庭で、お姉さんがいかに優しくていい人だったか、懇々と書いてある。ゴアが初めて選挙に出馬したときには、自分の生活そっちのけで手伝ってくれた、と。でも、それを読んでいくと、「ああ、ゴアのお姉さんはしんどかっただろうな」と見えてくる。生真面目な家庭で、頭のやわらかい優しい彼女にかかるストレスは大変なものだったでしょう。だから、十代からたばこも吸うし、短命にもなる。ゴアも深層心理ではそれがわかっている気がしますけどね。
山崎 アメリカ人のピューリタン的な発想は、禁煙運動に大きな影響を及ぼしますね。私が「ソフト・ファシズム」の問題を書いたのは十四年前ですが、あの頃、アメリカは大きな分岐点を迎えていました。ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、社会秩序も変わった。同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい“敵”を探し始めたのです。
あの当時、選択肢は二つありました。たばこかエイズか。ちょうどエイズが広まった時期でもありました。しかし、結局はたばこが選択された。なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。そういえばゴアの息子は大麻で逮捕されていますしね(笑)。
ナチス・ドイツと健康崇拝
養老 あまり知られていないことですが、じつは歴史上、社会的な禁煙運動を初めておこなったのはナチス・ドイツなんです。
チャーチルとルーズヴェルトはたばこ飲みでしたが、ヒットラー、ムッソリーニはたばこを吸わなかった。ナチス時代のドイツ医学は、国民の健康維持について、先駆的な業績をいくつも挙げています。がん研究は組織化され、集団検診や患者登録制度などの仕組みが確立されました。その中で「肺がんの原因はたばこだ」という研究が発表され、禁煙運動が推し進められたのです。
しかし、健康崇拝は禁煙にとどまらなかった。精神病患者の断種。さらには精神病患者や知的障害者の安楽死。ご存知のように、最後にはユダヤ人撲滅にまでエスカレートした。禁煙が優生学につながってしまったわけです。だから私は、日本に「健康増進法」ができたとき、真っ先にナチズムを連想しました。
山崎 まさにそうなんです。日本が意図的にファシズムに向かっているとは思いませんが、繰り出される政策はファシズムと大いに通底している。健康増進法、およびそれと連動して厚労省が推進する「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」は、予防医学の観点で成立しています。つまり、日本の人口の三分の二近くは糖尿病、脳卒中、高脂血症といった“生活習慣病”で亡くなっているから、生活を改善して健康体になろうというわけです。冒頭でも紹介したように、それが「国民の責務である」とまで書いてあります。しかも「健康日本21」には数値目標が定めてあって、酒は一日一合程度、一日一万歩歩いて、ストレスのない生活をしろとある。たばこについては、喫煙が及ぼす健康影響について知識を普及させ、未成年者の喫煙をなくす。公共の場や職場で分煙を徹底し、禁煙支援プログラムを普及させるとある。日本中の公的スペースから喫煙所が撤去され始めたのは、四年前にこの法律が施行されてからです。
養老 そんな生活したらストレスがたまるに決まってるじゃないですか(笑)。
山崎 本来、政府は予算と法律によって政策を実現するものですが、これではまるで説教政治ですよね。教育再生会議の提唱した「親学」もそうですが、民主主義的政府の考えることとは思えない。金正日のやることです。
養老 政教分離の原則に反している(笑)。しかも、それだけのことを全部こなしていたら、忙しくてとても仕事どころじゃない。
だいたい「健康増進法」という法律の名を目にしたとき、生まれつき病気の人はどうするんだと思いましたよ。
山崎 いまの日本では病気は排除すべき存在なのです。だから、「私は好きに暮らして病気になっても構わないから、放っておいてくれ」という生き方は許されないんです。病気に罹らないように気をつけるのも、病気に罹ったら必死に治そうと努力するのも、「国民としての責務」なんです。その第一段階として、わかりやすい悪者として選ばれたのがたばこだった。
養老 最近は、たばこそのものだけでなく、吸う人自体が「悪者」扱いされるようになってきました。
もうひとつ、禁煙運動家や健康至上主義者といった人々の特徴は、非常に権力的であることですね。他人に生き方を押し付けることに快感を覚えるタイプの人が多い。
山崎 じつはたばこに対して嫌悪感を露にするのは、かつてヘビースモーカーだった「転向者」が多いんです。俺はこれだけ苦労してやめたんだから、その成果を認めてほしいとなる。努力しない奴は退治してやろうという心理が働くようです。ちなみにアメリカには、ジョギング離婚というものがあるそうです。汗を流して走ってる女性には、怠けて肥ってる亭主が不潔に見えてくるわけです。
養老 食欲、性欲、睡眠欲といった生理的な欲望というのは充たされるといっぺんに消えます。しかし、たばこ然り博打然り、習慣性・麻薬性がある欲は終わりがないんです。権力欲や金銭欲もそう。だから、一種の麻薬なんです。禁煙運動家はたばこ欲に代えて、たばこを取り締まる権力欲に中毒しているといえる(笑)。
山崎 なるほどそれは面白い。文明がつくった楽しみの一つを自ら放棄した人が、いま道を説いているわけだ(笑)。
養老 しかし、人間の文化から中毒性を取り除くと、何も残らないかもしれませんね。私たちについて言えば、本を読むとか勉強をするというのも完全に中毒性のものです。だって本当は、私が研究しなくても誰も困らないのだから。
山崎 本来たばこというのは何世紀もかけて作り上げられた祝祭的な社交文化でした。葉巻や長煙管の時代には、たばこを嗜みながら、人々はスモーキングルームで会話を楽しんだ。その文化に敬意を表しているからこそ、私は歩きたばこはしませんし、分煙派です。しかし工業化とともにたばこは日常品となり、いまや文化としての優雅さや粋な気配もなくなってしまいました。
養老 文化を自動販売機で売ってはいけなかったですね。でも、マナーを作っていくのが文化ですから、はなから「害があるから禁止しろ」ではなく、分煙のマナーを作りだせばいいんです。
「老い」は治らない
山崎 先ほど養老さんは「いま医療は過大評価されている」とおっしゃいました。しかし私のような少年時代から感染症に苦しめられた年代の人間からすると、やはり医療に対する期待感があります。私は昭和二十七年に大学に入学しましたが、文学部の学生の半分近くが肺結核の患者でした。ところがストレプトマイシンとパスという抗生物質を処方してもらったら、じつに効いてみんな助かった。まるで魔法のようです。いま振り返ると、あの頃は医者と患者が幸せな関係を築けた時代なんですね。
だが、医者たちが嬉々として様々な病気を治した結果、みんな長生きするようになって、加齢による病気が増えてしまった。しかし、これは医学によって治せません。反喫煙で固まる医学界の気分として、魔法のような治療ができなくなったことへの閉塞感、患者を助けられない後ろめたさがあるんじゃないかと、私は思うんです。そんなとき、誰かが「生活習慣病」という言葉を発明した。
養老 私はよく言うんですが、抗生物質は人間には効きません。単に細菌を殺しているだけなんですね。抗生物質が人間の体に効いたらそれは、副作用ですよ(笑)。病気が治るというのは抗生物質が治すのではなく、人体が勝手に回復してくるのです。しかし、勝手に回復するはずの体が壊れてくるのが、いわゆる生活習慣病です。これは治す手立てがありません。
近代医学は、細菌という単純な対象を殺す方法は開発できた。しかし、それを人体という複雑なシステムに転用できると思ったら大間違いです。ところが、この単純な論理が医学界でも通用しなくなっているようです。
山崎 生活習慣病は、以前は「成人病」と呼ばれていましたよね。つまり、加齢に起因する病だとされていた。しかし、いつのまにか「生活習慣に起因する病」と名を変えた。こうなると、患者の自己責任になりますから、お医者さんは気分的に救われただろうと思います。そこに乗っかったのが、医療費を抑えたい厚労省でしょう。
養老 そもそも「老い」は治らないんですよ。健康ブームだから、老人たちは治療したら元の体に戻ると勘違いしている。しかしそんなわけがない(笑)。年をとったら病気の三つや四つ抱えているのがあたり前です。車だって中古というくらいですから、人間も中年になったら具合が悪くなります。
山崎 結局、日本社会が「老人の価値」を認めなくなっているんですね。昔は中年男性の腹が出てでっぷりしてくると貫禄があるとほめたものですが、いまは「お前はメタボだ、なぜ節制しないのか」と言われてしまう。中年女性たちは若く見られたいばかりに、美容整形に駆け込んだり、高価なしわとりクリームを塗ったりする。若さと健康という価値しか見えていないんです。
養老 逆の現象もありますよ。子供の価値がなくなっている。「子供らしい」という言葉自体が消えつつあります。これは子供が死ななくなったからだろうと思うんです。三歳なり五歳なりで子供に死なれると、親は本当に悲しい。いつ死ぬかわからないからこそ、子供としての人生を全うさせてやりたいという気持ちが、昔の大人にはありました。子供が幸せそうに遊んでいるだけで大人はニコニコしていられた。だから子供を皆大事にした。しかし、いまは生きていてあたり前だから、子供は大人の予備軍でしかなくなってしまった。
山崎 いまのお話は非常に面白い文化論につながります。アリエスが『〈子供〉の誕生』で書いていますが、西洋で「子供」という自立的な価値が誕生したのは十八世紀とされています。たとえば子供の洋服が大人もののミニチュアではなく、「子供服」という独自なジャンルとして出てきた。ひょっとすると逆にいまは子供消滅の時代なのかもしれない。
養老 子供の価値も老人の価値もなくなって、完全に人間が一律になった。だからこそ逆に、瀕死の状態になっている子供を救うべく、少子化問題が勢いを持つとも言えます。
山崎 さらに言うならば、昔は誰もが一病息災で病気をもっていましたが、それが許されなくなった。私の学校時代は、級友が病を得て一年間休学するということが珍しくありませんでした。彼らはぬくぬくと学校で一年間過ごした私よりも、精神的にずっと成長して復学したものです。しかし、いまの世の中には「病人」という価値もなくなったのでしょう。
養老 そのとおり。病を得たから、しばらくブラブラするなんて許されない。病人はリハビリや治療にせっせと取り組まなければいけない。
六十過ぎたら勝手にしてればいい
山崎 それにしても、なぜ現代人はこれほどまでに健康至上主義に夢中になっているのでしょう。私はこれを日常の中で達成感を味わえる場面が減ってきたせいではないかと考えています。昔は会社で販売成績をあげれば、上司にほめられるだけでなく、社会でも尊敬の目で見られた。奥さんも感心してくれた。ところが、いまの世の中はそうじゃない。いつリストラに遭うかもわからないし、仕事に達成感というものがなくなった。会社も社員を大事にしなくなった。さらに金儲けも、努力して儲けるものではなく、投機によって儲けるものだという思想が生まれた。ホリエモンや村上世彰を見ていたら、誰しも働くのがいやになりますよね。すると、健康の価値が相対的にあがるんです。いまや健康のためなら死んでもいいという価値観が生まれています(笑)。
養老 まったく、この暑いのに皇居の周りを懸命に走っている人を見ると、何をしているんだろうと思いますよ。体に悪いじゃないか(笑)。
東京都の資料で、六十歳を過ぎると、喫煙者と非喫煙者の間には平均余命に差がないという統計があるんです。糖尿の有無によっても差がないという。これは、脳を研究している私からすると何も不思議ではない。じつは六十歳を過ぎると、人間の脳には大きな個人差が出てくるのです。急速に衰える人もいれば、そのまま横ばいで維持する人もいる。これは医学ではどうしようもない。進化論からも証明できる。つまり、三十代や四十代で急速に衰えてしまう遺伝子を持った人は、子孫を残す競争で不利になりますが、六十を過ぎるとすでに子孫を残し終えているので、自然淘汰の圧力がかからなくなるから、差が顕著になる。
これが意味することは明快です。六十歳を過ぎて健康に気をつけても仕方がない。勝手にしてればいいんですよ。
山崎 過激な冗談を言うと、七十歳過ぎたら阿片を解禁したらどうでしょうか。そうしたら、いまよりも幸せな老人が増えるかもしれません。早く年をとりたいと思う若い人も出てくるでしょう。
養老 六十五くらいなのに「俺は七十歳だ」とサバよむ奴が出てきますよ。
山崎 最近、たばこを吸っていると中学時代を思い出すんです。人目を気にして吸っているので、トイレや運動場の隅っこで喫煙した感覚が蘇ってくる(笑)。
養老 そのうちテレビでモザイクがかかるんじゃないですか。「そのまま放映しますが、当時の習慣でございますから」とお断りが出たりして(笑)。
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