明治天皇:第122代天皇。名は睦仁(むつひと)在位1867-1912 大正天皇:第123代天皇。名は嘉仁(よしひと)在位1912-1926
皇室のたばこ
2005年6月8日の新聞朝刊に、次のような記事が載っている。
──宮内庁は天皇、皇后陛下の地方訪問の際に尽力した関係者や皇后の清掃活動を行うボランティアなどに、感謝の品として配布してきた「恩賜のたばこ」を、2006年度末で廃止することとし、以後は菓子などの品に切り替える方針とした──
「恩賜のたばこ」は、かつては戦地に赴く兵士たちに下賜されるなど、戦争の記憶とも結びついているが、製造が開始されたのは今から1世紀以上も前の明治時代中頃で、1904年(明治37)にたばこが専売品となるまでは、民間のたばこ会社が宮内省から注文を受けて製造した。専売制施行後は、大蔵省専売局が皇室用たばこの製造を担当するようになり、さらに49年(昭和24)からは日本専売公社が、85年(昭和60)からは日本たばこ産業株式会社が、それぞれ製造を引き継いできた。
また、皇室用たばこもかつては、天皇・皇后・皇太后の三陛下が直接ご愛用になるたばこを“御料たばこ”と称し、三陛下以外の方が使われるたばこおよび宮内省(庁)の各種行事に使用されるたばこは“特性たばこ”と呼んで、御料たばことは区別していた。いわゆる「恩賜のたばこ」は“特製たばこ”である。
専売制施行以後、特別な部署を設けてまで皇室用たばこが製造されるようになった背景には、外国からの賓客に供するための「応接用」のたばこが必要であったこと、「恩賜のたばこ」に代表される感謝の“賜物”として使用するためといった理由があったのだが、それ以外に明治天皇がたばこ好きだったことも、多少は影響していたのかもしれない。
両陛下の思い出
明治天皇の暮らしは質素でつましかったが、たばこについては、執務用の机に掛けられた緋ラシャのテーブル掛けのあちこちに、たばこの吸い殻の焼けこげを作られるほどお好きだった。焼けこげだらけのテーブル掛けを見かねた側近が新調を申し上げても、修理可能な品はできる限り修理して使用するという考えの天皇は、取り替えることをなかなかお許しにならなかったという逸話が伝えられている。
大正天皇は、明治天皇以上に愛煙家だった。たばこに対しても知識が深く、ご自身が吸われるたばこの香味や辛さについてはいろいろと注文されたという。
また、皇太子(東宮)時代から喫煙量がたいへん多く、身体への影響を心配した東宮大夫が本数を減らすよう進言すると、「それでは、一本のたばこになるべくたくさんの葉を詰めた紙巻たばこを作ってほしい」と言われ、実際に一本の長さが三寸八分(約11・5センチ)もある特性口付紙巻たばこを作らせている。ちなみに、現在発売されている「マイルドセブン」の長さは、フィルター部分を含めても8.・5センチだから、この特性口付紙巻たばこが異様に長かったことがわかるだろう。
天皇即位後は、ハバナ葉巻たばこ、トルコ(葉)混成口付紙巻たばこ、ハバナ(葉)口付紙巻たばこなど、数種類のたばこを愛用していたといわれる。佐賀の鍋島家から皇族の梨本宮守正に嫁いだ伊都子妃(1882~1976)の自伝『三代の天皇と私』(1975年・講談社刊)に、そのヘビースモーカーぶりが書かれている。一部を紹介すると、
──明治天皇と違って大正天皇は大変親しみやすいお気軽なお方でした。沼津や葉山の御用邸に宮様(梨本宮)と共に参内しますと、
「梨本は煙草を喫むか」
「煙草はあまり嗜みませんが、たまに葉巻を喫みます」
「あーそうか」
机の上に置かれたご自分の煙草入れから、葉巻をわし掴みにして、
「これをやるから持って行け」
と気軽におっしゃるのでした。宮様はお帰りになってさっそくその葉巻に火を付けたのですが、渋い顔をなさるのです。
「困ったな。いただいては来たが、こんなに辛い葉巻では・・・・。どこの品だろう」
と箱に収めてしますうのです。だがお目にかかるたびにその葉巻を下さるのでした。──
とあり、大正天皇の傍らには、いつもご愛用のたばこが用意されていたことがわかる。
しかしながら、明治天皇や大正天皇のたばこ好きのDNA(遺伝子)は、昭和天皇には伝わらなかったようで、昭和天皇とたばこに関する逸話はあまり聞かない。