歴史を変えた愛煙家たち(2) ウィンストン・チャーチル[1874-1965]

ウィンストン・チャーチル:イギリスの政治家。王立陸軍士官学校卒業後、ジャーナリストなどを経て1900年政界に進出。1940-45年、1951-55年首相就任。著書『第二次世界大戦回顧録』はノーベル文学賞受賞。彼が描いた風景画も高く評価され、絵筆をとる同好の人々にチャーチル会の名前を掲げる人も多い。正式名はウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル。

キューバ葉巻との出会い

葉巻といえばチャーチル、チャーチルといえば葉巻。

ナチスに対して一歩も引かなかった第二次世界大戦時のイギリス首相。ソビエト連邦(現ロシア)のスターリン、アメリカ合衆国のルーズベルトと組んで勝利をかちとったとき、高くかざしたVサインとともに、葉巻を銜えたその姿は、自由世界の人々に畏敬をもって刻みつけられている。

チャーチルは、一八七四年ランドルフ・チャーチル卿の長男として生を享けた。母ジェニー・ジェロームはアメリカの富豪の娘。生粋のイギリス貴族として育つ。ノーブレス・オブリージの伝統にしたがい、陸軍士官学校にすすむ。一八九五年卒業、第四軽騎兵連隊に入隊。折からビクトリア女王の治下で大英帝国の翼をひろげる時期、チャーチルが戦争の実体験を渇望するのは当然であったであろう。彼は無分別にも休暇をとり、デーリーグラフィック紙の特派員として、スペイン帝国に叛旗をひるがえしたキューバの独立戦争の観戦に出かける。

しかし、彼の抱いたものは、被支配者(反乱側)への共感と、支配者(帝国側)に対する理解。それは、戦争の無意味さ、統治は暴力を超えてあらねばならないという認識と言い換えてもよいだろう。父の後を継いで政治家になろうという野心の芽生えがそこにはあった。

同時に覚えたもの、馬鹿にならぬ特派員の原稿料収入の高さと、キューバの葉巻の美味さ──。

九六年インド派遣軍勤務となる。南インドで大きな庭付きのバンガローに住み、多くの召使にかしずかれる典型的な植民地軍将校の生活を送る。ただ例外は、彼が昼寝の時間を読書にあてたことで、歴史書や『政治年鑑』を渉猟したこのときの学習は貴重な経験となる。

そして一日の終わりは、葉巻、であった。

偉大な政治家チャーチルと、彼が好んだ特大葉巻

一八九七年インド北西の山岳地帯に遊牧民の反乱が発生すると、チャーチルは戦地に赴く。

その体験を『マラカンド野戦軍』(九八年)にまとめたことをきっかけに、その後も特派員や戦闘員として戦争を体験して、次々と従軍記を著す。文名はあがり、著書の印税と講演旅行から挙がる収入で、経済的自立をなしとげたという。いよいよ政界進出の機運が熟す。

一九〇〇年、保守党から立候補して下院議員に初当選、政治家の第一歩を踏み出す。その後自由党に転向。植民相次官、商務長官を歴任して、海軍大臣に就任。ようやく本領発揮の舞台が用意されることになる。この間に結婚をしている。

ところが、第一次世界大戦勃発時に見事な采配をみせるも、戦局の変化に戦略ふるわず、海相辞職に追い込まれる。指揮棒を絵筆に持ち替えて憂さをはらし、失意の時代を過ごす。

しかし、チャーチルは〝政治家〟である。再び軍需相、蔵相を経て、第二次大戦勃発(三九年)時には海相に、翌四〇年に首相の印綬を帯び、ヒトラーに立ち向かう。戦局利あらずでダンケルクの撤退を余儀なくされ、空爆と上陸の脅威にさらされながらも、絶対不敗の信念を堅持し、比類なき統率力をもって国民を鼓舞激励。その一方、巧みな外交戦略を駆使して枢軸国に対する連合国を結集、ソ連、アメリカ合衆国の参戦を促し、大戦を勝利に導いた。

つねに葉巻を口から離すことなく、警句とユーモアを連発しつつ、自らを励ましつづけていたチャーチル。四五年七月、ポツダム会談の最中に総選挙に敗れて下野したが、その功績を世界が忘れることはなかった。やがて国際政治舞台に復帰、「鉄のカーテン」演説とともに冷戦の指導者を務め、五五年に引退、六五年没。

葉巻は大きいサイズを好み、ダブルコロナサイズを選んだというが、半分までしか吸わなかったようである。「ロメオ・イ・フリエタ」ブランドでは、長さ一七八ミリ、直径一八・六五ミリのサイズのものを、別称としてチャーチルサイズと呼んでいるほどで、現在では正式な形状名より馴染んでいるようだ。

彼は、ロンドンのロバート・ルイスやダンヒルという有名なたばこ店から葉巻を購入していたという。第二次大戦中、ダンヒルの店がドイツ空軍の爆撃で被害にあった時、直ちにマネージャーが首相官邸に「あなたの葉巻は大丈夫です」と電話したというのは有名な話。

また、マーチン・ギルバート(『ロシア歴史地図』の著者)の伝えるところによると、一九四一年ごろ、チャーチルはキューバから取り寄せた葉巻保管用大型キャビネットを開けて、並みいる大臣に向かって言った。「これから実験をしようと思う。それは嬉しい結果になるかもしれないし、悲しい結果になるかもしれない。この中の葉巻を君たちに贈呈する」と、しばらくポーズを置いてから、「これらには毒がはいっているかもしれない」と付け加えたというのだ。後日、実際に毒味が行なわれたという。

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