[2014年1月24日]
コラム どちらが悪い人なのだろう 当会会員 武田邦彦さん
気管が弱くたばこの煙で苦しむ人はここでいう「禁煙運動家」ではない。ノルウェーの元首相に代表されるような「健康でピンピンしているが、思想的にタバコを許さない人たち」を「禁煙運動家」という。「禁煙学会」、「禁煙科学会」などの団体もここでいう禁煙運動家に分類される。
「タバコを吸うと肺がんになる」というのが正しいかどうかは別途、検討する。私は「タバコを吸うと肺がんになる」というのは「非科学的表現」と思うが、まずは1990年ごろ禁煙運動が盛んだったころの状態をそのまま表現すると「1000人の人がタバコを吸うと1人が肺がんになる」となるので、それを前提にして話を進める。これは過去のことなのですべての人が合意できるからである。
禁煙運動家は「自分はタバコを吸わないが、タバコを吸う人が肺がんになるからタバコを禁止すべきだ」という。ということは「法律で許されている成人の行為で他人に迷惑をかけないのに、自分の意見が正しいので禁止しなければいけない」ということになる。
人は生きていれば何らかの影響を他人に与える。道を歩いていても「うざい」と言われることはあるだろうし、「歳を取っている奴を見ると不快だ」とか、「太った女を見たくない!」という人もいるだろう。そんなことを言われたら、それこそナチス以上の暗い社会になる。
現代は正反対の方向にと進んでいる。あまり良い話ではないが、一次、世界的に禁止された「売春」はヨーロッパでほぼ解禁された。女性の権利が認められるようになってから、女性が何をしようがそれが第三者に迷惑をかけない限り認めようという考え方だ。
確かに、売春宿が街にあると町の風紀を乱すけれど、それより個人の生活の選択の方を大切にしようではないかという考え方だ。調査をすると西ヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツなど)で売春が法律で禁止されている国はなくなった。
イギリスやフランスは昔から個人の意思での売春は法的に許されているが(暴力的に強制する売春は、売春でなくても禁止される)、ドイツは2002年に合法化された。女性の自立とともに売春ですら、女性の自由意思に任せるというのがヨーロッパの傾向である。
なにもヨーロッパに学べということではない。歴史的にはタバコや煙を嫌うのはアーリア人の白人系で、インディアン、アイヌ、日本民族など黄色人種とタバコの付き合いは長く、煙に対する嫌悪感も少ない。文化としては日本の文化の範囲内である。
まずは「タバコを吸ったら肺がんになるかどうかは別にして、そういう理由では社会から排斥してはいけない」ということを私たちは確認しなければならない。そうしないととんでもなく暗い社会になる。禁煙運動の人たちの中には、「タバコを吸っている姿が気に食わない」とか、「タバコを吸っている人は傲慢だ」などという理由を言う人がいるが私はとんでもないことと思う。
それに比べると喫煙者は比較的、紳士的だ。無理難題(喫煙者の健康のために、自分が吸いたいのに罵倒される)をよく我慢してきたものだ。アイヌの習慣に「タバコをすると気分が穏やかになるので、タバコを吸うのを勧める」ということは本当ではないかと思うほどである。アイヌは戦争をしなかった数少ない民族だが、それがタバコと深い関係があることが指摘されている。
思い切った転換だが、禁煙運動家は他人の自由を自らの趣味で禁じようとする「悪い人」であることを社会的にもはっきり認め、静かに耐えている「良い人」(喫煙者)を尊敬しなければならない。
私たちの社会を明るくし、不当なことを少なくするには、タバコのことがすべての出発点だと私は思う。