「過激派」の辯 小谷野敦
小谷野敦(比較文学者、評論家)
- 小谷野敦
小谷野敦(こやの とん)
1962年12月21日、茨城県水海道市生まれ
1987年 東京大学文学部英文科卒業
1989年 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程修了
1990年 ブリティッシュ・コロンビア大学留学(-1992)
1994年 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻
博士課程単位取得満期退学
1997年 学術博士(超域文化科学、東京大学)
職歴
1994年 大阪大学言語文化部講師(-1997)
1997年 大阪大学言語文化部助教授(-1999)
1999年 明治大学兼任講師(-2005)
2001年 東京大学非常勤講師(-現在)
2003年 国際日本文化研究センター客員助教授(-2006)
受賞歴
2002年 サントリー学芸賞(『聖母のいない国』
「禁煙ファシズムと戦う会代表」と、私の名刺には刷り込まれている。といっても、ミクシィ内のコミュニティの管理人に過ぎず、一度だけ五、六人で、神保町の、今はなき料理屋「人魚の嘆き」でオフ会をやったことがあるだけで、ほかの喫煙者団体とはまるで違う。
禁煙ファシズムとの戦いも、もうかれこれ八年にはなるだろうが、どうやら私は、「過激派」らしい。過激派といっても、電車内で喫煙するとか、厚生労働省へ押しかけるとかいうわけではない。単に、全面禁煙にした新幹線には乗らない、全面禁煙のレストランなどへは行かない、禁煙のタクシーには乗らない、といったことでしかないのだが、ほかの喫煙家はみな我慢しているらしく、仕事上仕方のない人は気の毒だが、拒否出来る立場でも、特に拒否しない人もいるらしい。
せいぜい、私が容認できるのは分煙だけで、大学キャンパスの屋外全面禁煙とか、建物内全面禁煙とか、論外なのである。ロビーが禁煙の劇場や映画館も拒否だから、ほとんど最近は家の近所を自転車で走り回るだけである。駅のプラットフォームも禁煙だから面倒だが、これは場合によっては喫う。駅員とやりあうのが面倒になってきたから、隠れて喫うが、嫌がらせのために吸殻は捨てておく。これは禁煙にするほうが悪いのである。
嫌煙家などは、それくらい我慢できないのか、などと言う人もいようが、我慢できる場合でも、信念に従って拒否するのである。キリシタンが踏絵を踏まないのと同じである。それを、キリシタン弾圧とたかが禁煙と一緒にならないだろう、と言う人がいるが、そうではない。第一に、対話が成り立っていない。新聞は禁煙一色になってしまい、まれに小さく異論が載るくらいで、読んでいると不快になるから、四、五年前にとるのをやめてしまった。テレビのニュースも、ひところ見始めるといくつめかに、禁煙関係のニュースが出てきて不快だから、基本的に見なくなってしまった。
まあ今は、ニュースなどというのはインターネットでことたりると言えば言えるが、そのネットニュースにも、禁煙関係のものがしばしば混じるから油断がならない。特にミクシィは禁煙派じゃないかと思えるくらい、その手のニュースを嫌がらせのようにエントリーしてくる。
何しろ私は、四年前、非常勤講師をしていた東大教養学部で、夏休みに図書館へ調べものに行った時、人もまばらなキャンパスで喫煙していて某化学教授に咎められ、議論になったのをブログに書いたらそれが問題になったらしく、雇止めになっている。以後、大学とは無縁な日々を送り、近ごろは生計も怪しくなってきている。大阪市長の橋下徹も、職員が喫煙したとかいうことで解雇するから、いよいよ生活問題になってきているが、私は確信犯である。のちに、人類の愚行の一つとして禁煙ファシズムの歴史が描かれる時が来たら、私は間違いなく英雄的に描かれるだろう。
これがファシズムであるゆえんは、何と言っても、議論を封殺することである。歩きタバコ禁止と言われても、堂々と喫いながら歩いている愛すべき庶民も、私のような人間がいることは知らない。新聞やテレビが報道しないからである。この四、五年で、マスコミは喫煙擁護派を締め出しにかかっている。ところが嫌煙派の作家の川端裕人など、私に、言いたいことはどんどん言えばいい、などと言って逃げてしまった。単行本やブログでどれほどものを言おうとも、新聞、テレビがとりあげなければ、大衆には伝わらないのだ、ということくらい作家の身で知らないわけがない。
近ごろ、板倉聖宣という在野の科学者の『禁酒法と民主主義』(仮説社)を読んでいたら、米国で十二年間続いた禁酒法だが、十年近くたっても、なお禁酒法を行きすぎだとする意見は多数派になっておらず、政治家たちは、禁酒法に反対すると落選するのではないかと恐れていたとあり、興味深かった。禁煙ファシズムは先進諸国共通のものだが、それもいつか、突如として崩れ始める時が来るのだろうか。
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