いぜんとして天晴れ
山折哲雄(宗教学者)
- 山折哲雄
- 1931年、サンフランシスコ生まれ。東北大学インド哲学科卒業。東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究所センター教授、同所長などを歴任。近著に『天皇の宮中祭祀と日本人』(日本文芸社)『わたしが死について語るなら』(ポプラ社)『「教行信証」を読む』(岩波書店)など。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロをはじめて訪れたのが、1989年の2月のことでした。霧雨のなかを空港に降り立ったとき、すでにカーニバルの熱気とサンバのリズムがこの街のすみずみを覆っていました。そこは北半球の日本とはうって変って、真夏のさかり……。
ホテルに着くと、その大ホールはたくましい裸身に思い思いの扮装をこらした化物のような男や女が群れていました。褐色の肌が化粧と汗にぬれて照り映えている。表情はとみれば、すでに恍惚の果実を前に舌なめずりしているような気配がただよっていました。
カーニバルとは、いうまでもなく謝肉祭のことです。古くからカトリックの国でおこなわれてきた祝祭で、飲めや歌えの乱痴気騒ぎをするお祭りであります。灰色で覆いつくされたような禁酒禁飲の街頭風景とは、まさに真反対の乱痴気騒ぎであるといっていいでしょう。
その最大の演し物が、サンバのリズムにのる踊り手たちの千変万化のふるまいと、豪華な意匠に飾られ、珍奇な趣向をこらした数々の山車の運行にあったことはいうまでもありません。
カーニバルのこの狂乱に参加するのは、その大半がリオのファベラ(スラム街)に住む人びとといわれています。ただ驚かされたのは、シルクハットにハイカラー、蝶ネクタイといういでたちはご愛嬌としても、あの「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの豪華な衣裳をまとった姿をそのまま絵に描いたような「女王」たちが、つぎからつぎへと登場してきたことでした。
価値の顛倒、といえばいえる。白人崇拝の倒錯、ともいうことができるでしょう。チラッとそんなことを考えていると、乞食姿をした約1000人の踊り手を登場させるチームが湧き上がる雲霞のごとくあらわれてきました。
それにつづいてこんどは、妊娠7ヶ月前後の妊婦15人をサンバ行進の最前列にならべるといった離れ業までやって、大観衆の度肝をぬいたのであります。
それからしばらくの時間が経ちました。
2001年の8月下旬になって、私はふたたびブラジルを訪れる機会をえました。リオ・デ・ジャネイロまで足をのばしたのが今いった1989年2月のことでしたから、13年ぶりの再訪でした。
このときはサンパウロである学会が開かれ、それに招かれた再訪の旅でした。8月の下旬で、地球の反対側ではようやく桜が散りはじめる季節を迎えていた。
とにかく地球の反対側まで行くのですから、長途の旅になりました。成田空港からロサンゼルスまでが12時間、さらにロスからサンパウロまで同じように12時間、合せて24時間ものあいだ機内にとじこめられる。そのことに、もう怖じ気づいていました。
こういう空の長旅をするとき、いつでも心を悩ますのがご存知の時差ボケです。70歳をこえた自分のからだがどれだけ耐えられるだろうかと、そればかりが心配の種でした。そこで、こんどばかりはその自分の歳のことも考えて一つのささやかな実験をやってみることにしたのです。機内での飲酒を極力ひかえることにしたのであります。水とジュースを飲むことに徹して、24時間囚人のような機内生活と時差ボケに対抗してみようと考えたわけです。
それからもう一つ、帰りの飛行機では機内食をベジタリアン・フードに変えてもらうことにしました。これは普通食にくらべて味気がなく、けっしてうまいものではなかったのですが、ともかくそれで自分の体調がどうなるかためしてみようと思ったというわけでした。
つまり、カーニバルの逆をやってみようとしたことになります。ちなみに私は、30代の後半に大量吐血して病院に運ばれ、4ヶ月の入院生活を送っているうちに、自然に禁煙の習慣が身につくようになりました。以来、今日までほぼ40年間、タバコを口にしていません。
さて、さきの実験ですが、効果はてきめんでした。水とジュースと野菜食とで、腹のなかはいつも物足りない感じだったのですが、時差ボケの苦しみからはほとんど解放されることができました。睡眠もそれほどとれたとは思わなかったのですが、しかし不思議なことにからだ全体が軽く感じられ、そのころもつづいていた日本の熱帯性の猛暑のなかに降り立ったときでも、比較的さわやかな気分を味わうことができたのでした。 それがそのときの長途の旅でえた貴重な「発見」だったのですが、もう一つ、そのサンパウロで衝撃的なニューモードをみせつけられてびっくり仰天したことがあります。学会のあいまをぬって、現地の知人に食事に誘われたときです。
かれはほとんどチェーンスモーカーに近いタバコ好きで、周囲に気をつかいながらもそれを片時も手放すことがありませんでした。その喫いっぷりがあまりにみごとだったので、思わず感嘆の声をあげたときでした。「このところショッキングなことがおこりましてね」といって、ポケットからタバコの箱をとりだし、その裏側のラベルをみせてくれたのです。
何と、そこには、末期の肺ガン患者の憔悴しきったカラー写真の顔が大写しになっていたのであります。鼻孔と口からは管がさしこまれ、表情が苦しげにゆがんでいる。正視するに耐えないリアルな写真でした。タバコを喫いつづけると、こうなりますよ、という警告のメッセージでした。もっともそのタバコの箱の反対側にはきれいにデザインされた会社のブランド名が、これもじつにカラフルなデザインで印刷されている。どちらが箱のウラかオモテか知りませんが、タバコ喫みにとっての天国と地獄のイメージがまさに背中合せになって、そこに顔をのぞかせていたのです。
知人の苦し気なつぶやきの声が今でも私の耳の奥にひびいています。そしてそれだけではない。そのタバコの箱の暗いデザインには、タバコの種類によってこのほかに未熟児で生まれた弱々しい赤ん坊、腹を大きくふくらませた妊婦などの写真までのっていることを教えられました。ベッドの上に若い夫婦がいて、妻の方が上体をおこして頭を抱えている。夫のインポテンツを嘆いている情景ではありませんか。タバコの害はここまで及びますよ、という脅しのデザインではないかと思ったほどでした。
リオのカーニバルでは、あるチームが妊娠7ヶ月の妊婦15人をサンバ行進の最前列に並べていたことを、私は思いおこしました。同じ発想が、禁煙運動の最前線でも追求されていると思わないわけにはいかなかったのであります。
仕事を終えて日本へ帰る途中、私は空港でそれらのタバコをたくさん買い求めて、しばらくのあいだ、ためつすがめつ眺め入りました。このような禁煙運動の趣向はもうアメリカなどではじまっているのだろうか。そしてやがて、この日本列島にも上陸してくるのだろうか。一瞬、不安にとらわれたことを覚えています。
私は日本にもどり職場に復帰したとき、大量に仕入れてきたカラフルなデザイン入りのタバコを、タバコ好きの同僚や職員たちにお土産としてふるまいました。
その効果やいかに、とうかがっていたのでありますが、それでタバコをやめたという人間は、その後いつまで経ってもあらわれませんでした。効果はまるでなかったということになるのでしょう。
やはり、この日本列島における熱狂的なタバコ喫みたちは、いぜんとして天晴れ、というほかはないのかもしれません。
(※愛煙家通信No.2より転載)
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