健康に悪いとは?
大朏 博善(科学ジャーナリスト)
- 大朏 博善
- 1945年生まれ。早稲田大学理工学部在学中から雑誌記者となり、科学雑誌のライターを経て、技術、生命科学系のテーマを中心に執筆活動中。著書に、『いま、遺伝子革命』(新潮社)、『ES細胞』(文春新書)など多数。
じつのところ、今の私はタバコを手にしないから愛煙家ではない。学生時代から吸い始め、一時はかなりのヘビースモーカーとなったが、三〇代の半ばから喫煙頻度が減って、四〇才になる頃には吸わなくなっていた。
だから、もうタバコの値段もまったく知らないという状態にある。では、禁煙派なのかといえば、特に喫煙を自ら“禁じて”いるのでも“禁じられて”いるわけでもないから、禁煙家とも禁煙派ともいえない。単に、今は吸っていない、というだけのことである。
そんな状況だから、バリバリの嫌煙派を自認する人と喫煙問題をテーマに雑談するハメに陥ると、なんとも奇妙なやりとりになる場合が多い。
「習慣となっていたタバコを止めるのは大変だったでしょう?」。まず、これだ。
いえ、とくに訳あって止めたわけではないから、一大決心なんかとは縁がなくて、辛くも苦しくもなかったですけどね。
「ということは、喫煙なんてものは無意味だと気がついて止めたと?」
それほど大袈裟な分析をしたわけでもなくて、強いていえば嗜好品として強い興味を惹かなくなったということかな。喫煙が習慣として問題だと思うかどうかは、その人によって違うんじゃないですかね。
「でも、吸わなくなったら体調が良くなったとか食べ物がうまくなったとか、禁煙によっていろいろ変わったでしょう」
灰皿が不要になったぶん周囲の景色は変わったけど、体調ウンヌンというほどの変化はないですけどね。そういえば、机回りや部屋の掃除は少し楽になったかな。女房もそういいますね。
「そもそも、タバコは周囲の人に迷惑をかけることが多いじゃないですか。煙いし、臭いしで、ね。それだけでも問題だな」
そりゃそうかもしれないけど……。草野球好きは人前でバットを振り回さない、犬好きの人は愛犬を無闇に吠えさせないよう気をつける。音楽ファンは、名曲といえども人ごみで音漏れを起こしてはいけない。“自分の好きは他人の迷惑”かもしれないのは、タバコに限った話じゃないでしょう。
「だいたい、健康に良くないのが明らかな行為を、日常的に平気でやるその神経がわからないんですよ」
ここまでくると、というか強固な嫌煙派との会話は大体こうなるんだけど、「血液型性格占い」と同じくらいバカバカしい展開なので、その場から退去するようにしている。
しかしここでは、そうもいかない。科学ライターとして喫煙問題・禁煙ブームに一言となったら、いいたいことはある。
たしかに「喫煙のリスク」をテーマとする報告書は相当な数が存在する。なかでも、対象がタバコだけに呼吸器系との関係を調べたものが多く、気管支炎や肺ガンへの関与についての調査報告が目立つ。また、動脈硬化といった循環器系疾患との関係を述べているものも見られる。“リスク”をテーマとして報告している以上、タバコの関与の有無についての判定はもちろん「クロ」である。
こうしたことから一般的な評価は、喫煙は健康被害をもたらす、つまり「タバコは健康に良くないに決まっている」ということになっている。
だが、ちょっと待ってほしい。“健康に良くない”って、いったい何だ?
以前、落語を聞いていて、「何が健康に悪いかってえと、生きていることが最も身体に悪い」という落ちに出会って、深く頷いてしまったことがある。考えてみればまったくその通りで、自分では健康生活を送っているつもりでも、いつ何どき、何が原因で健康を損ねる結果になるかわかったものじゃない。
その良い例が、誰でもできる“健康スポーツ”の代表とされるゴルフ。特別な筋力も必要でなく、爆走するわけでもないから、中高年にもお勧めの健康法とされる。だが、その一方で運動中の突然死(心筋梗塞や脳卒中)が多いスポーツとしても有名。一説によると「ゴルフ場十か所あたり年間一人」の割で突然死が起きているという。グリーン上でのパットなど緊張を強いられるのが原因だ。
だからといって、ゴルフは健康に悪いからなるべくしないようにしましょう、などとは間違ってもいわれない。せいぜい心臓が悪い人は気をつけましょう、ですむ。要するに、突然死のリスクとスポーツのメリットを秤にかければ、メリットのほうが大きい。そうなって初めて、だからゴルフは健康的に良いスポーツなのだ、といえることになる。
「だったら、“喫煙のメリット”に関する医学的報告はあるのか?」との質問が飛んでくるだろう。
そんなものはない。いや、あるかもしれないが、日の目を見ることはないだろう。なぜかといえば、このご時世に「タバコが生理的・心理的にプラス作用を及ぼす要因を探る」なんて研究テーマを立案する奴はいない。研究費はどこからも沸いてこないし、下手したら研究者としての椅子をなくしかねない。
医師の中でも、特に外科医などには「手術後の一服はストレスを解除してくれる」としてタバコを手放さない人は多い。だが、患者に向かう時は隠れキリシタンよろしく「まあタバコは止めましょう」と“医学的指導”を行ってしまう。禁煙を言い立てたほうが時流にあっているというだけではなく、警告となる調査がある一方で、喫煙メリットに関する調査も研究もないのだから、とりあえず禁止との方向性を出さざるを得ないのだ。
つまり、喫煙のリスクに関しては国を挙げて研究・広報体制が整えられているが、逆のメリットに関しては調査研究そのものが行われていない。そんな片手落ちの“喫煙調査”において「悪い報告ばかり。だから健康に悪いに決まっている」と強調してみても、なんの説得力もない。
せめて先のゴルフのように、スポーツをすることのメリットと緊張を強いられることのリスク、この両方を天秤にかけて論じないことには、正当な論評とはいえないだろう。
ここで少し詳しく述べるならば、先に紹介した喫煙リスクに関する数々の調査報告でさえ、正確には“喫煙と健康との関係”を報告しているものではない。単に“喫煙が生体に及ぼす影響の可能性”について報告しているにすぎない。
「喫煙と××」と題する調査研究のほとんどは「疫学研究」という、医学的というより数学的手法で進められ結果が求められる。
まず、気管支炎とか肺ガンとか動脈硬化といった単一のターゲットを決め、タバコを吸う人のグループと吸わない人のグループでは、疾患の発生率がどの程度異なるか?といった確率の比較をもとに、喫煙と特定疾患との関係性を探ろうとするわけだ。
この手法、かつての水俣病(有機水銀が元凶)のような公害による健康被害に関しては、たとえば有機水銀といった極めて特殊な物質がターゲットだったことから、数学的処理においても明確な結果を示した。ところが、ものがタバコという“誰もが触れるチャンスのある”物質で、しかも調べたい疾病が生活習慣病に分類される“頻発する病気”となると、その因果関係を確率の相違として明瞭に描くには限界がでてくる。
各種の調査がいうように、喫煙の有無によって発生率が異なる疾病がある、という点については認めよう。しかし、愛煙家は何らかの形で“喫煙のメリット”を享受しているのかもしれない、という視点が最初から抜け落ちているのは異常。健康を医学的に語るには完全な“片手落ち”である。声高に嫌煙を言い立てるならば、まず天秤の向こう側に喫煙家と喫煙メリット調査を載せる。タバコをめぐる議論はそれからだ。
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