異様な肺ガンの急増ぶり

秦 郁彦(現代史家)

秦 郁彦
1932年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。ハーバード大学、コロンビア大学に留学。防衛庁勤務、プリンストン大学客員教授、日本大学教授などを歴任。近書に『「BC級裁判」を読む』(共著、日本経済新聞出版社)『靖国神社の祭神たち』(新潮社)『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP研究所)など。『昭和史の謎を追う』で菊池寛賞を受賞。

疑わしきは罰す?  

今年の2月、『ゼントルマン・クォータリー』というアメリカの雑誌に、興味深いニュース記事が出ていた。ノーベル医学賞の認定事務局でもあるストックホルムのカロリンスカ研究所によると、1997年からスウェーデン国民の健康指標が急激に悪化しつつあるのは、その年から爆発的に普及したケイタイ電話の電磁波のせいらしいというのだ。

私には思い当るふしがあった。1998年から5年間、国連保健機関(WHO)事務総長の職にあったグロ・ブルントラント女史(小児科医出身の元ノルウェー首相)が辞めぎわに、タバコの征圧にほぼ成功したので、次はアルコールと電磁波の排除に取り組みたいと宣言していたからである。

世界の医師や環境団体をバックに、「エコの女王」と畏怖された彼女の実力と影響力を見くびってはいけない。広告規制→警告文の印刷→分煙→禁煙→全面禁煙(勧告→法的規制)と着実に実績を積みあげてきたブルントラントは、日本の「立ちおくれ」を是正すべく1999年、WHO国際会議を日本で開催、タバコ規制枠組条約への調印を迫った。

セットとして健康増進を義務化した法律(健康増進法)も成立するが、その過程で税収確保を主張する財務省は、WHOと組んで反タバコを推進する厚労省に敗れた。主導権を握った厚労省は、税収が減ってもかまわないと公言して、本年秋のタバコ大幅値上げを実現する。

ここまで押せば、あとは自転してくれると踏んだのか、WHOは次の標的にアルコールを選び、今年5月の総会で販売広告の規制を打ち出す。恐れをなした日本のビール会社は早くもテレビCMの自粛で恭順の姿勢を示している。

ブルントラントはタバコの煙と電磁波に弱い体質の持ち主だそうだが、彼女の個人的事情から世界史が動いていくのは何とも無気味ではないか。

標的(スケープゴート)にはこと欠かない。香水、ファーストフード、コカ・コーラ、肉類、肥満(メタボ)、そして最後の難物である自動車などがずらりと控えている。

しかし主標的が移るからといって、愛煙家は安心しているわけにはいかない。自転段階に入った厚労省の旗振りで、タバコの規制は強まっていく一方だ。10月1日に予定されている大幅な値上げに、何か対抗策はと友人たちに聞いてみたが、「半年分ぐらい買いこんでおくか」とか「本数を減らして根元まで深く吸い込むぐらいしか知恵がないねぇ。健康には悪いのかもしれないが」と情けない反応ばかり。

そこで私は「タバコは肺ガンの主犯ではない」「受動喫煙(副流煙)の平山理論は怪しい」というかねてからの「仮説」を提示しつつ、ささやかながらの反対攻勢を試みたいと思う。

まず統計データを押さえておきたいが、厚労省の『人口動態統計』によると、全ガンの年間死亡者は約34万人(死因のトップ)に達する。うち肺ガンは約6万7千人(いずれも2008年)で、1998年以降は部位別のトップを走っている。

ところが時系列で見ていくと意外な事実が知れる。1950年は首位の胃ガンが3万1千人なのに対し、肺ガンは1千119人、部位別だと子宮、肝臓、大腸……とつづき、白血病につぐ第8位である。2008年と比較すれば胃ガン(2位)は1・6倍なのに、肺ガン死は実に61倍という急増ぶりで、その勢いは今後も止まりそうにない。

一方、男子の喫煙率は1950年の84・5%から2010年の36・6%まで下りっ放しなのに、なぜ肺ガンがふえるのか、説明してくれる人がいない。どうやら原因はタバコ以外にありそうな気がして、東大医学部図書館へ行ってみた。ここには、明治初年いらいの医学書や医学雑誌のバックナンバーがそろっているからだ。

意外にも戦前期の医学教科書には、肺ガンの独立項目が見当たらないのである。統計も胃ガンや乳ガンはあるが、肺ガンは「その他部位」のなかに押しこめられて患者数も死者数も不明。

それでも根気よく探していると、1935年の『診断と治療』誌に金沢医専の大里教授が、稀にしか見られなかった肺ガンが最近ふえてきたのに、前年末に東大の長与教室が集計した53例しか統計データが見当らないので全国集計を試みたところ、約100例になったと報告している記事が見つかった。1950年の10分の1である。

大里はさらに肺ガン増の原因を、急増しつつある自動車の排気ガスや舗装工事のタールかと推定しているが、呼吸器の弱い者は肺結核で死に、残りが肺ガンで死ぬと説く論者もいた。

たしかに死因統計を眺めると、1960年前後から肺結核が急減していく反面、肺ガンは急増している。1960年代から80年代にかけては、合計数が2〜3万人の範囲でほぼ一致する現象が見られるから、あながち暴論とも言えまい。

考えてみれば、コロンブスが新大陸から持ち帰っていらい、タバコの歴史は500年を超える。しかし肺ガンが登場するのは20世紀に入ってからで、100年にもならない。ともあれ、わが国では半世紀前までは毎年の死者が1000人前後というマイナーな病気にすぎなかった。

それを無視してタバコに極悪のイメージを植えつけたのが、平山理論である。

受動喫煙論の怪

提唱者の平山雄(1923-95)は満州医大の出身、厚生省の公衆衛生院からWHOの勤務を経て、国立がんセンター研究所の疫学部長時代に、保健所のネットワークを利用し26万人余を対象とする「人とガン」に関する大規模な追跡調査を実施した。

彼は調査表(現在も未公開)を眺めて、「喫煙者の夫と非喫煙者の妻」の組み合わせで妻の肺ガン死が少なくないのは、副流煙の吸入による受動喫煙(Passive Smoking)に起因するというユニークな着想を得た。そしてなぜか発表の場を日本の医学界に求めず、イギリスの医学情報誌であるBritish Medical Journal(BMJ)を選ぶ。

わずか3ページの、学術論文とはいいにくい投稿文だったが反響は大きかった。

発表された1981年だけで、12本のコメントが掲載されたが、ほとんどは疑問か異議の部類で、平山も三本の反論を送っている。84年には7人の専門家がウィーンに集まり「受動喫煙に関する国際円卓会議」を開催した。

Preventive Medicineの13号に掲載された討議記録を通読すると、孤軍奮闘する平山を吊しあげる会かと思えなくもない。調査手法の粗雑さも批判されたが、平山のデータと結論が正しいとしても有意性は認められないと判定される。

座長が「平山理論は科学的証拠に欠ける仮説にとどまる」としめくくるや、しどろもどろだった平山は最後に「タバコを廃絶したら、こんな論争は不要になる……私は政府とWHOへ働きかけるつもりだ」と開き直った。

おそらく調査開始時に受動喫煙のテーマを想定していたら有効な反論もできたろうが、調査終了後の思いつきだったのがたたったのであろう。

しかし政治工作と嫌煙運動へ方向を転換した平山の読みは的中した。アメリカの公衆衛生院とWHOが平山理論を歓迎、それが日本へ逆流して、厚労省は喫煙規制の強化を正当化する根拠として利用するようになる。

その後の平山は『禁煙ジャーナル』誌を主宰する運動家として全国を飛びまわり、「日本専売公社(現JT)はタバコ病専売公社と改名せよ」とか「受動喫煙を〝緩慢なる他殺〟と呼びたい」式の過激な言動をまき散らす。勢い余って「肺ガンばかりではない。ほとんどのガンはタバコが原因」と叫びながら1995年、肝臓ガン(一説には肺ガン)で世を去った。

皮肉なことに平山流の疫学調査を追試しようにも、分煙が普及して人間では同一条件下のデータを得られなくなってしまう。

それでも「ビーグル犬の気管を切開して紙巻きタバコを二年半にわたって強制喫煙させる」とか「マウスへの強制喫煙を600日つづけた」たぐいの実験を試みる科学者はいるらしい。

私は歴史家として、いわゆる陰謀史観には与しないが、CO2増に起因する地球温暖化説の横行(今年の夏は暑かったが)もふくめ、大金が動くだけに理系科学者の世界は各種陰謀の土壌ではあるまいかと思えてくる。

紙数の関係で要約にとどめざるをえなかったが、私の詳論を望まれる読者は、年末に刊行予定の『病気の日本近代史』(文藝春秋)を参照していただきたい。

※『愛煙家通信 No.2』(2010年10月5日発行)より転載

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