ま、今日も笑って一服…
筒井康隆((作家))
- 筒井康隆
- 1934年、大阪市生まれ。同志社大学文学部卒業。江戸川乱歩に認められ、作家活動に入る。81年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、87年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、89年、『ヨッパ谷への降下』で川端康成文学賞、92年、『朝のガスパール』で日本SF大賞、2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞をそれぞれ受賞。映画・演劇・テレビなどで、役者としても活躍している。
「我々は悠然とタバコを喫えばいい」─。タバコにまつわる色々が、フシギに卑小に思える“痛快放談”!
あらゆる不満の〝スケープゴート〟
─先生は昭和六十二年、『小説新潮』で「最後の喫煙者」という短編を発表されています。これは、健康ファシズムがいきすぎた恐怖社会で、喫煙者が国家的弾圧を受け追いつめられていく様子を描いたストーリーですが、当時から嫌煙運動の兆しを感じておられたんでしょうか?
筒井 それはよくわかりましたね。やっぱりタバコを喫う人間だから、ちょっとしたイヤミや嫌悪感をひしひしと感じるわけです。
しかし、「これはタバコとは別のことで怒っているんだな」という感じはありました。「タバコが嫌い」ということではなくて、ほかのことでイラついているんだな、と。それが今やもう証明されてしまいましたね。明らかにタバコが、あらゆる不満の“犠牲”になっている。「禁煙」という一点に人々のはけ口が集約されていますね。
いずれは『最後の喫煙者』(新潮文庫)と同じような状況になるでしょう(喫煙者差別が魔女狩りのレベルに達し、殺人・私刑・放火・脅迫がおこなわれる)。まだそこまではいっていないけれど、いずれそうなる。
─当時の禁煙運動の状況は?
筒井 アメリカで禁煙運動が勃興しているというのは知っていました。
そして、日本人のほうが徒党を組みやすく、マスコミやおかみの言うことは信じるんだから、アメリカがこうなっているなら、日本ではこれはもう戦争中みたいな騒ぎになるというのは、予測がつきましたね。
日本人は、偉い人のいうこと、世の中の風潮、体制に対して、右へ倣えが激しいですからね。アメリカは個人主義だから、それほど徒党を組まないんじゃないんですか。
─もともとタバコは個人の「趣味嗜好」の問題だったのに、いつの間にか「健康問題」になっています。
筒井 健康とまったく関係ないということが、医学的にこんなにはっきり証明されているのに、「見ざる聞かざる」を決め込んでいる。嫌煙者はやっぱりアホですよね。あっちが「喫煙は健康の害になる」という前提のもとでしか発言しないのであれば、こちらは「喫煙は健康とは無関係」ということを前提にして話すしかない。
ただのアホなら許せるけれども、嫌煙権論者はヒステリックでしょう。彼らと公開で論争するなんていう、そんなバカなことをするのは実に無駄なことでね。まあ、そういう時はむこうにギャーギャーわめかせておいて、こちらは悠然とタバコを燻らせていればいい(笑)。
面白いのは、嫌煙権論者にはまともな文章を書く論客が乏しいことです。反嫌煙権の論客がきちんとした文章を書いているのに対して、彼らはデマや誤った統計によるスローガンを金科玉条のように繰り返すだけ。略してキンタマです(笑)。
それに彼らは、公開討論しようとか、あるいは新聞社にFAXを送りつけて他のFAXが入らないように妨害しようとか、ギャーギャー電話をするとか、すぐにそういう暴力的なことをする。日本のヒステリックな嫌煙者には戦時中の大政翼賛会みたいな、独特なものがありますね。
タバコは人を穏やかにする
─いまの禁煙運動は本当にファシズム的です。
筒井 言論の自由をとってみても、ほんとは新聞なんかがその代表なんだけど、新聞がそもそも愛煙家の言は載せない。載せると大変なことになってしまう。これは戦争中の大本営発表だけを載せるという、それと同じことですよ。まあ私は新聞の読書欄にそれとなく書きましたがね(笑)。
嫌煙権論者の意見は載るけれども、われわれ喫煙者の意見が載らない。マスコミが嫌煙権運動に同調している以上、喫煙は「悪いこと」に決まっているのだから、どんなに差別的なことをしてもかまわないと思っている。これに対しては何を言っても無駄だし、もう、どうしようもない。
─タバコの問題は、今や「善悪論」にまでなっています。相撲賭博の問題をみても、政治家叩きをみても、同じ匂いを感じます。
筒井 別に相撲取りがバクチをしたってかまわないじゃないんですかね(笑)。昔から、バクチくらいはしていますよ。ヤクザの集団には、必ず相撲取りがひとりかふたりついていたもんです。
現代社会の基本原理は、「排除の原理」です。これが、禁煙ファシズムにも、相撲賭博問題にも、政治家叩きにも出ている。喫煙者や相撲取りをいじめ、政治家を罵倒して痛快さを味わっている。生きた人間をいたぶるのは、嗜虐的な快感があるし、皆がやっているんだから罪悪感を感じなくてすみます。「正義」と「善」を振りかざして、嬉々としている。
最近出した『現代語裏辞典』(文藝春秋)の項目では、【善悪】について、「どちらか一方は小人物。同居させているのが大人物」としています。
─嫌煙権論者は今や相当な影響力です。
筒井 この『愛煙家通信』は、基本的に愛煙家が読むだけだから、喜んで手紙も寄越すでしょうけど、かつて『文藝春秋』に養老孟司氏と山崎正和氏の対談(「変な国・日本の禁煙原理主義」二〇〇七年十月号)が載ったときは、文藝春秋への抗議がひどかったらしい。
喫煙させている店があると、昔の憲兵みたいに嫌煙権運動をしている人が押しかけていって、「この店禁煙しろ」とギャーギャー言う。そしてシラミを潰すようにひとつずつ「この店禁煙、この道路禁煙、この区内全部禁煙、ホテル内全部禁煙……」と禁煙網を拡げていく。楽しんでますよね(笑)。
ところがそんな状態になっても、タバコを喫う人はギャーギャー言わない。皆おとなしく言うことを聞いている。それは何故か。彼らが「タバコを喫うから」です。タバコは人間を穏やかにして情緒的にするんですよ。だから、これほどまでに露骨な喫煙者イジメ、喫煙者差別にも耐えていく精神的余裕をもっている。
それは嫌煙権論者の性格との対比でもはっきりわかるし、これからますますはっきりしてくると思う。嫌煙権者もタバコを喫えばヒステリックでなくなるのにねえ(笑)。
ただ、この禁煙ファシズムはどうにもならないね。戦争中だって、「この戦争は負ける」と思っていた人は沢山いたのに、誰も何も言わなかった。この戦争が自分達の国を滅ぼすとわかっていても、何も言わないで、しかたがないと思っていた。
禁煙運動も、一度何か大きな事件でも起きて、どえらい騒ぎになるまでは収まらないでしょうね。
「犬と喫煙者立入るべからず」
─「タバコの害」も過大に喧伝されていますね。
筒井 例えば、東京の多摩川の河川敷で、みなバーベキューをやって、ゴミの山を築いて帰っていきますが、役所がその処理に何百万もかけています。タバコをポイ捨てしても、何百万もかからないでしょう。それに、公共の広場でタバコを喫っても誰も死にませんが、公共の広場でゴルフをしている人間がボールを人に当てたら死にますよ。
タバコを喫って暴れる奴はいないけど、酒を飲んで暴れる奴はいる。飲酒運転をして事故を起こす奴もいるが、喫煙運転をしての事故はなかった。なのに今は乗客にまで禁煙させる。
─『最後の喫煙者』では、「犬と喫煙者立入るべからず」という公園の看板に、主人公が怒りにうち震える場面がありました。喫煙による犯罪発生率は低いと言えるのに、なぜこんなに迫害されるのか……。
筒井 南アフリカのマンデラさんは、白人と黒人の宥和政策をとったでしょう。あれは偉いですよね。自分が白人からひどい差別をされてきたのに、いざ自分が大統領になっても逆に仕返しをすることはなかった。あの人は本当に偉いです。
アパルトヘイト下で、白人と黒人とを分けたでしょう。混血児も「Colored」といって、黒人の仲間に入れた。しかし、日本人だけは「名誉白人」といって、白人の仲間に入れたんです。だから、結局金持ちはいいんだよね(笑)。
喫煙者だってそうですよ。新幹線がタバコを喫えなくなった場合でも、僕なら大阪までハイヤーを飛ばして、中でタバコを喫いますよ。タバコの税金があがって、一本千円になろうが、一万円になろうが、タバコを喫ってたら大威張りですよ。「俺がどんだけ税金を払っていると思うんだ」ってね。
一般の人はそれができないから可哀想だけど。
僕は嫌煙権論者は、それが例え大臣であろうが、一種の“神経症”だと思いますね。神経症の一種で「肛門愛」というものがある。これは、幼少時にトイレのしつけを厳しくされた結果、几帳面、清潔好き、整理整頓、時間厳守とか、礼儀作法にうるさいとかの性格が形成されることを言うんです。
だから僕にとっては、「禁煙」「禁煙」という厚労相なんかは、「ウンコのオッサン」なんですよ(笑)。嫌煙権者はみな「ウンコのオッサン」です。「タバコの煙が嫌い」という女性は、みんな「ウンコのネーチャン」だし「ウンコのオバハン」だしね(笑)。
でもね、いかに清潔清潔と言ったって、昔は家の床の掃除にしても、雑巾で拭いていたわけでしょう。今は掃除機でゴミを吸う。便利になって、本当は逆に不潔になってきているんです。機械まかせのために「清掃」という観念が薄らいできている。
現代人は子供の時から、汚れた服は洗濯機、汚れた食器は食器洗い機と、だんだん清潔という観念から、本当は遠ざかってきているんだね。
“個”で喫煙権を主張する
─今は、しっかりした価値判断をもっている人間しかタバコを喫わなくなってきましたね。
筒井 嫌煙権論者は群れをなして来るわけですからね。けれど、こっちだって群れをなそうと思えば、できないわけじゃないですよ。喫煙者の我慢が禁煙ファシズムを助長しているとも言える部分はある。
例えば、映画の悪役っているでしょう? あれだけを集めて、マフィアみたいな格好をさせて、三十人くらいでタバコを喫いながら、千代田区(区内全域を路上禁煙地区に指定している)を歩かせる。恐ろしくて取り締れない(笑)。
あるいは、イタリアから金を払って本物のマフィアを呼んできて、葉巻くわえて百人歩かせるなんてのも面白い(笑)。条例では逮捕されないからね。(※千代田区の「生活環境条例」違反者には罰則が適用〈過料二千円〉)
禁煙タクシーには乗らない、禁煙のレストランには入らない、分煙のレストランを避ける、禁煙の建物には入らない……とか、“個人の反逆”として、ちょっとしたことだけど、ヒステリックな嫌煙者を刺激せず、目立たない形で喫煙権を主張することはできます。
先日、『現代語裏辞典』の出版打ち上げを、フランス料理店でやったんですが、そこが「全店禁煙」だったんです。
僕の担当者が、その店が禁煙なのか、喫煙できるのか、確かめないで私を招待したんだね。
というのも、私の担当編集者連中がタバコをやめたからなんですよ。会社が分煙になって喫煙所ができたんだけれど、それがいやでやめてしまった。できた喫煙室は「ガス室」と呼ばれていて、「ガス室行ってくるわ」と言うらしい(笑)。
禁煙してから彼ら元気がなくなりましたよ、可哀想に(笑)。
僕は料理を食べている間はタバコを喫わないけれど、一区切りついたデザートの前あたりには喫いたくなるでしょう。
そこが禁煙というのは知っていたけれど、「無意識に喫った」みたいな顔して喫ったんですね。そしたら従業員が灰皿を持ってきて、「すいません。店内は禁煙です」と言うから、こちらは「殺さば殺せ」とか言ってね(笑)。
二度目に「すいません」と言いに来たときは、「ま、もう一服だけ」なんて言いながら、二服三服喫って、ほとんど喫っちゃった。そういうふうに“個人の戦い”はできる。
この間も、孫を連れて静岡の川奈温泉に行ってきたんです。途中、熱海で乗り換えるんですが、熱海駅は新幹線のプラットフォームにも、伊東線のプラットフォームにも喫煙場所がない。
それで私は、伊東線のプラットフォームで喫ったんです。そしたら清掃係のおじさんがやってきて、「ここ、禁煙ですよ」というから、「どこで喫えるんですか?」と聞いたら、「外かな…」って。「外へ出たら入って来れないじゃないか」ってね(笑)。
それで、なんやかんや言いつつ一本喫ってしまいました。だから皆がそれをやればいい。「条例違反だ」と言われたら「で、どうするんだ、逮捕するのか」などと押し問答しながら一本喫っちゃうんです。喫えますよ(笑)。
タバコは十六歳から
筒井 私は高校で演劇部に入ったんですが、芝居がうまいからとすぐに舞台に出させてもらえたんです。森本薫の『華々しき一族』でした。そこで演じたのが、タバコを喫う役でした。いちばん前の席の校長がいやな顔してたけど(笑)。
だから、十六歳のときが喫煙のはじまりですよ。そして七十五歳の今でもなんともない。何ともないどころか、むしろ健康です。
カミさんとも、四十五年来のつきあいですけど、私の横にいて何ともないですしね。むしろ本人も伴侶もタバコを喫わないという人がたくさん肺癌になってる。
私が八十歳、九十歳になったら、「先生、健康の秘訣は?」なんて聞かれると思うけど、答えは「酒とタバコ」ですよ。ストレスがあるっていうのが、人間には一番の病気の原因ですね。ストレスがあると人間いっぺんに老けますよ。だから私はバカなことばかり考えて、ストレスのない生活を送っております(笑)。
今は日に二十本くらい、「VOGUE」のレギュラーを喫っています。昔は缶ピースでしたがね。
─最近、映画でも喫煙シーンがないですよね。昔は、映画の中でいい喫煙シーンが沢山ありました。
筒井 無声映画時代からありますよ。ピーター・ローレが主演で犯人役をやった「M」という映画もそう。警察の捜査会議の場面があるんですが、警部とか警部補とか署長とかが全員葉巻を喫って、もうもうたる煙の中で話をしている。昔はあんなものだったんでしょう。タバコには神経の苛立ちや感情の昂ぶりをしずめて、頭の回転をよくする効果がある。
どうやって犯人を捕まえようかという、難問を解決するための長時間の会議には、タバコは必需品なんですよ。昔の新聞社の編集会議だって同じようなものでしょう。最近、新聞の社説やコラムがつまらなくなったのは、新聞社の会議室からタバコが追放されたからだと思います。
あとは『恐怖の報酬』だね。男がタバコをくわえて運転していたら、くわえていたタバコがぴゅっと飛んでから、前の車が爆発をする。爆発音はあとから聞こえる。あれはよかった。
『最後の喫煙者』がテレビドラマになって、僕も出演しました。主人公が国会議事堂の天辺に追いつめられる最後の場面は、さすがに撮影許可が出ないので、「最後の喫煙者」である主人公が剥製にされ、タバコを喫うポーズをとって口から煙を吐いているシーンになりました。
─このまま禁煙運動がすすむとどうなりますか?
筒井 昨日までタバコを喫っていて禁煙した人が、タバコが喫えずにイライラして、他人の喫っているタバコを取り上げるようなことだって起きるかもしれない。そうしたときに、いくら喫煙者がおとなしいといったって、どんなことが起きるかわかりません。あるいは、ヒステリックな嫌煙者が、タバコを喫っている人間を刺すということも考えられる。そうなったらもう「戦争」ですよね。やっぱり殺人というのが一回か二回あるかもしれない。
─ニューヨークで全店飲食店が禁煙になったとき、タバコをめぐる口論で門番が撃たれる事件がありましたね。
私をJTの社長に
筒井 この禁煙包囲網に対しては、がんばるとかなんとかという問題ではないんだけど、「好きにやりましょう」ということですよ。好きに喫っていればいい。ギャーギャー言われても、腹を立てない。われわれはおとなしいんだから、笑ってタバコを喫っていればいい。
タバコの喫えない所へは行かなければいい。勤め人はそういうわけにいかないけど、ただそういうときでも、喫おうと思えば喫えますよ。「タバコの喫えるところはないか?」と聞けば、嫌煙権者以外はみんな親切で、同情して教えてくれたり案内してくれたりする。
─最近は奥様が家庭内で禁煙活動をしている所もあります。
筒井 夫婦のことだから、それは夫婦内で何とかしてください(笑)。
─反喫煙運動の黒幕は?
筒井 敵ははっきりしています。自動車業界とアルコール飲料業界ですよ。
嫌煙権運動の発祥であるアメリカでは、自動車産業が自分たちに有利な政策を容易に政府に強制することができる。自動車産業に対する批判、例えば、排気ガスによる地球温暖化とか、公害による喘息疾患、交通事故なんかから大衆の眼をそらさせて、嫌煙権運動に誘導している。タバコをスケープゴートにしているんですね。
自動車によって人類が滅亡することはあっても、タバコの煙で人類が消えていなくなることはないからね。もしそうであれば、とうの昔に人類は絶滅していますよ。
また、アルコールによる中毒症だとか、依存症、犯罪だってタバコの比ではありません。アルコールを一気飲みした若者が急性アルコール中毒で死ぬことはあっても、タバコの一気喫いをした若者が急性ニコチン中毒で死亡した例はありません。酔っ払いが電車内で婦女子にいたずらをしたり、乗客にケンカをふっかけたり、悪臭漂う反吐を吐いたりしても、タバコのために喫煙者が婦女子にいたずらしたり、社内で反吐を吐いたりすることはない。
そして本来であれば、その実態を指摘する役目を担っているマスコミが、それを言わない。自動車業界、アルコール飲料業界は、大きな広告主だからね。
行動分析学というのは、「いかにしてタバコをやめさせるか」なんてことをやっていたんだけど、そのいちばん偉い先生が酔っぱらいのせいでプラットホームから落ちて死んじまった。「いかにして酒をやめさせるか」を研究すべきだったでしょうね(笑)。
─タバコの警告表示も、だんだん内容がエスカレートしてきています。
筒井 JTは「喫煙は肺がんの原因の一つとなります」「心筋梗塞の危険性を高めます」と、自分のところの製品の悪口を言っている。自分の企業の製品の悪口を言うなんて、そんな会社がどこの世界にありますか。気がおかしい。
僕を、JTの社長にしないかな。社長になったら「喫煙は健康の害になります」なんてメッセージ、取っ払いますね。何もWHOの言うことを聞くことはない。
それで、あのスペースをどうするかというと、「喫煙キャンペーン」「反禁煙キャンペーン」を打つ(笑)。
「タバコは情緒を豊かにし、精神を安定させる効果を持っています」
「自動車は人間の健康に害があるばかりでなく、人類滅亡を招く危険物です」
「お酒の飲みすぎは健康を害し、他人に迷惑を及ぼし、犯罪を招く恐れがあります」
嫌煙権者がかんかんになって怒って不買運動はじめるかもしれんが、痛くも痒くもないもんね(笑)。
タバコが原稿を書かせる
筒井 近所のスモークバーには、ときどき行くんですが、葉巻を喫うと、葉巻用の灰皿を持ってきてくれるんです。そういう天国のようなところがある。世の中こうなってくると、どこかに喫煙者にとっての“天国”のようなスポットができてくるでしょうね。乗客が減ってくると日航や全日空が争って喫煙室を作る、客の奪い合いで飛行機と競争して新幹線は喫煙展望車を作る(笑)。
─これだけ「禁煙」「禁煙」と騒ぐと、普通の人は思考が停止してしまうのではないでしょうか。
筒井 思考能力の低下がとくに激しいのは、以前タバコを喫っていて禁煙した人たちですよ。やたらヒステリックになって、人がタバコを喫っているのが我慢できなくて、ギャーギャーわめく。あれは一種の精神異常ですね。自分もこの間まで喫っていたクセに、やめたとたん、禁煙によるストレスを嫌煙権運動で発散させている。
タバコをやめた連中は、きっと長生きしてゲートボールしたり、行方不明になりたいんでしょう(笑)。でも恐らく短命なんじゃないかな。
僕は高齢者の行方不明というのは、実はいいことじゃないかと思うんだよね。昔の「姥捨山」は子供が親を捨てたけど、子供には迷惑をかけたくないと、自分からいなくなる。
僕も万が一、百歳まで生きていたとしたら「年金は一年くらいならもらっておけ」「私のことは探すな」と言い置いて旅に出る。格好いいでしょ(笑)。
─先生はすぐ見つかりそうです。
筒井 百歳になればもう忘れられてますよ。
─「タバコ依存」という言葉にしても、人は何かしらに必ず「依存」しているものです。「依存=悪」という図式はおかしい。
筒井 人間はまず仕事に依存しないと、食っていけない。その証拠に、仕事をやめたらすぐに死ぬ人が多いでしょう。
僕のことを言えば、本当にありがたいですよ、ふつうは六十歳で定年なのに、そこから十五年、こうして仕事はいっぱいあるし、こういうインタビューも次々依頼してきてくれますしね。普通なら定年後十五年もしたら、ボケてきますよ。
古井由吉氏に言わせれば、小説家は書くことがなくなってからが勝負だそうですよ。丸谷才一さんなんかは、作家は八十歳になってからだ、なんて言っています。そうかもしれんね。何も欲望がなくなって、真実が見えてくるというのはありますからね。
─タバコは創作活動を、高める効果がありますね。
筒井 タバコを一日百本喫っているという作家がいるでしょう? あれはタバコが原稿を書いているんだと悪口を言う人がいます。じゃあ、あんた一日百本タバコを喫って、この人以上の小説を書けるかといえば、書けないでしょう?
クスリも同じようなものかもしれませんね。昔は麻薬をやっている作家がたくさんいて、「麻薬が小説を書かせている」なんて言う人もいたけど、麻薬を喫って同じような小説が書けるもんじゃない。大傑作ばかりだもの。
─これからの喫煙者は、ある意味ユーモアをもって、まわりの強い風当たりに対処していく必要があるんじゃないでしょうか?
筒井 あのね、どんなにユーモアを交えて話しても、「ウンコのオッサン」「ウンコのオバハン」にはそんなユーモア、通じないんですよ。かえってその方が怒ります。こちらが笑えばかっとするんです。だからといって、こちらまでヒステリックになってはいけない。もっと笑えばいい。
あのねえ、この年になるともう、怖いものがなくなってくるんです。「殺さば殺せ」じゃないけど、死ぬのが怖くなくなってくる。それはつまり、セックスの欲望がなくなるということです。リビドー(性本能)が低下すると死ぬのが平気になる。皆さんもそのうち死ぬのが平気になって、盛大にタバコを喫えるようになりますよ(笑)。
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